2024/01/31

生成AIの普及ですべての知識が英語に集約される

昨日書いた生成AIで要点だけが流通する社会が仮に実現したとして、その時に何が起こるかをもうちょっと考えてみます。

結論として英語での知識の集約がより一層進むのではないでしょうか。現在でもインターネット上の情報の約6割が英語らしいですが、それがさらに顕著になります。


昨日書いたとおり、生成AIの活用で世の中に流通する情報は要点だけになります。

人 → <生成AI> → 要点 → <生成AI> → 人

するとインターネット上に蓄積されていく情報も要点のみとなります。要点は保存、活用が極めて容易なので世界の情報はガンガン生成AIで要点化されていきます。

さて、生成AIにより作られたこの要点はどの言語で表現されているでしょうか。

もちろん英語です。現状、実用に足る生成AIを提供している会社がすべてアメリカの会社なのですから。

こうして世界の価値のある情報はすべて英語で要点化され、世界中の人が生成AIを通じてそれを活用するようになるのです。


英語で要点化された情報世界は、非英語圏の人にとってどのような世界なのでしょうか。

表面上はなにも問題ありません。要点が英語で表現されているとはいえ、それを使う際には常に生成AIを通すのですからそこで翻訳も行えばなんら不便はありません。

ただし翻訳を行う分、生成AIの利用コストは上がります。それは一生かかるコストですから、それを嫌がり母語ではなく英語でのコミュニケーションを選ぶ人は多く現れることでしょう。英語話者の数はさらに増え、ますます英語での知識集約が進みます。


その結果、

生成AIが普及した世界は皆が英語を話す世界なのかもしれません。

2024/01/30

生成AIで要点だけが流通する社会へなっていく

MicrosoftのOffice 365に搭載された生成AI「Copilot」が本格的に提供開始されたそうです。

以下の記事にもあるとおり、ひとまず文章においての主要な使い方は文章作成と要約になります。

超絶便利!「Copilot for Microsoft 365」でWordの文書作成が爆速化するhttps://ascii.jp/elem/000/004/181/4181541/

そこで思うのが「どっちもいらなくない??」ということ。


生成AIを使った文章作成の流れは

要点 →<生成AI> → 文章

となり、要約時は

文章 → <生成AI> → 要点

となります。起点と終点はどっちも要点なので途中のプロセスは全部ムダ。我々はムダのために仕事をし、生成AIはそのムダを代わりにやってくれているのです。


ではどうすればよいか。流通させるのは要点のみとしてしまえば良いのです。

人 → 要点 → 人

LINEのやりとりなんてこんな感じですよね。日常生活で伝えたいことなんてひとことふたことで十分。ですが、入り組んだビジネスの現場ではそうはいかないケースもあります。そこで生成AIを人と要点の間に挟むのです。

人 → <生成AI> → 要点 → <生成AI> → 人

情報の送り手は生成AIの力を借りて簡潔かつ純度の高い要点を作り、送る。受け取った側は要点をそのまま咀嚼してもよいし、難しい場合は生成AIにわかりやすく成形してもらってから咀嚼すればよいのです。


この方法の良いところは情報の流通コストが圧倒的に下がることです。従来はノイズをたっぷり含んだ「文章」という形式で流通していたものが、純度の高い「要点」だけになるのだから単純に容量として少なくなりますし、誤解も防げます。

応用も効きます。情報の送り手と受け手の言語が異なった場合途中で翻訳が必要ですが、要点だけを流通させていれば翻訳するのは要点のみ。文章全体に比べれば格段に少ない量で済みます。

後から情報の参照、結合をする場合も、文章全体に対して行う場合に比べて要点だけであればその労力、制度は格段に向上するでしょう。


かつてIT革命が情報を紙から解き放ち世界中に流通させました。今度は生成AIが要点を文章から解き放ち情報空間に流通させるのです。しらんけど。

2024/01/01

2024年 明けましておめでとうございます

明けましておめでとうございます。

2024年は辰年ということでうっかり年男だったりしますが、だからといって何か変わったことをするでもなく、これまで通りのんびりぐうたらと日々を過ごしていきたいと思います。

今年楽しみなのはなんといってもMLB。大谷と由伸が加入したドジャースがどんな戦いを見せてくれるかわくわくします。もちろんいつも通りの日本プロ野球もあり、加えてオリンピックもあるとのことでスポーツ観戦には事欠かない一年になりそうです。

世界に目を向けると日に日に不安定さが増している状況で暗澹たる気分になりますが、そこに関与するだけの能力も意欲も持ち合わせていないので、せめて関心だけは持ち続けていきたいと思います。願わくばテクノロジーの進化がちょっとずつでも騒乱の種を取り除いていってくれますように。



2023/11/28

座右の銘というか塞翁さん家の馬のお話

座右の銘を聞かれるほど高尚な人生を送ってきてはおりませんが、稀に聞かれた際には

人間万事塞翁が馬

と答えるようにしています。これと似た言葉に

禍福はあざなえる縄の如し

という言葉もありまして、今日はその辺のところについて語ってみたいと思います。


まず「人間万事塞翁が馬」。言わずとしれた故事成語で、塞翁さんの馬が逃げてしまったという不運に端を発して幸運と不運が交互に訪れたことから、不運に思えたことが幸運につながったり、その逆だったりすることのたとえとして用いられます。

「禍福はあざなえる縄の如し」はそのまんまですが、幸福と不幸はより合わせた縄のように交互にやってくることを指します。

二つの言葉が言わんとしているのは、先々のことなんてわからん!ってことです。すなわち現在得ている情報から事象を完全に把握するのは不可能であり、より詳細に把握するには必ず時間の経過が必要だということ。この世の事象はすべからく四次元的なのです。

時間の経過とともに事象が変容していくのであれば、当然それを良しとする時間帯もあれば悪しとする時間帯もあるわけで、それがあざなえる縄の如しってなわけです。


それはそうとして、大事なのはこの事実をいかに自分の人生に活かすか。受け身に活用するなら、たとえBadモードの時でもそのうち良いことがあるさと自分を慰めるってなとこですが、ここは一つ積極的に活用して

・Goodモードの時はBadにつながる可能性を模索しておく
・Badモードの時はGoodにつながる可能性を模索しておく

というのはどうでしょうか。

先々のことはわからない以上、どのようにGoodがBadに、BadがGoodにつながるかの確証を得ることはできません。が、その可能性を模索しておくことはできます。そしてある程度模索しておけば、いざそのパターンに入った時にそれなりにスムーズに対処することができます。

そしていざ実際に起こるのは全く想定していなかったパターンというのが世の常ですが、それでもそれなりに模索をしておけば諦めもつくってなもんです。

あと必ずしもGoodをBadに変える必要はなく、GoodをよりGoodにしてもよいわけでそっち側の可能性を模索しておくのも大切です。逆のBadがよりBadになるケースは想像したくもないですが、可能性がある以上は心構えだけでも持っておいたほうが良さそうです。


まとめると、「人間万事塞翁が馬」も「禍福はあざなえる縄の如し」も、ともすると思考停止に陥ってしまいがちな自分に対して、あらゆる可能性を模索して主体的に人生を送るモチベーションを与えてくれる言葉なので大切に胸にしたためておりますよ、というお話でした。

では。

2023/08/23

流浪の民専用 インターネット県

かれこれ10年以上流浪の民をやっておりますと、常に付きまとうのが住民票の問題。引っ越す度に移すのも面倒なら、実家のままにして郵便物を都度転送してもらうのもまた面倒。

そもそも定住を前提にすべての行政システムが設計されているのが問題で、マイナンバーがある今、住所を個人特定の要素として用いる必要はまったくないと思うのです。


とはいえ、数多ある現存のシステムからまるっと住所を排除するのもまた問題。

ではどうするか。

流浪の民専用の架空の県、インターネット県の設立を提案します。


インターネット県(I県)の扱いは基本的には他の都道府県と同様です。確定申告、納税などはI県(の配下自治体)に対して行い、保険証の交付もI県からです。

唯一違うのが郵便がすべて転送前提となっていること。I県住人は自身のI県住所からの転送先をかならず設定しておきます。すなわち流浪の民は移動するたびに最新の転送先を設定することで、どこにいても郵便物を受け取れるというわけです。

I県に古臭い物理的な役所は存在しません。すべての手続きはマイナポータルから行います。既存システムにとらわれないI県は、マイナンバーを中心に据えた新しい行政システムの導入にはうってつけ。デジタル庁が腕をふるった理想のシステムをまずはI県へ導入、しかる後に既存の都道府県へ導入していけばよいのです。


うーん、いいなぁインターネット県。流浪の民の理想郷ではないか。

なおI県のふるさと納税返礼品はもちろんAmazonギフトカード。総務省のひきつる顔が見ものです。


では。

2023/08/21

居住空間は水道管に束縛されている

自由というのは僕が病的に追い求めるものでありまして、おそらくその対義語は束縛であろうかと思います。

物理的な束縛の代表が管・ケーブルの類。電源ケーブル、LANケーブルがなければバソコンは自由に持ち運べるし、イヤホンケーブルがなければデバイスから離れて音楽を楽しめます。

もう少し視野をひろげて自分の居住空間がどんな管に束縛されているかを見てみると、そこにあるのは電線、ガス管、水道管。ならばこれらの管から開放されれば、居住空間はより自由になるのではないかと考えるわけです。


電気、ガス、水道のうちもっとも簡単に省けるのはガス。その主な用途である加熱は電気で代替できるのでガス管はなくてもOK。

次に取り除きやすいのは電線。EVの普及とともに大容量の電池や充電ステーションが充実してきているし、パネルでの発電も可能。充電の頻度はともかくとして、電線から離れて生活することはまあまあ可能かと思います。

となると最後の関門が上下の水道管。これは極めてやっかい。クルマを直付けできる給水ステーションはキャンプ場以外には皆無ですし、下水に至っては自宅外での処理はほぼ不可能です。

というわけで、現状居住空間が固定されているのは水道管に束縛されているからであり、逆に言えばそこさえ解決されればより自由な生活が可能になるのです。イメージとしては常にキャンピングカーで生活する感じで、時代をとらまえれば生活空間をまるごと実装した生活EVで自由に移動しながら生活することになるでしょう。


生活EVの実現にあたって、水道管の問題をどう解決するか。補給に関してはガソリンスタンドで水も補給できるようになればなんとかなりそう。問題は下水処理。これもガソリンスタンドで処理サービスをやってくれるとありがたいけれど、そこまで期待するのは酷か。となると技術の進歩に期待。下水をろ過して水分は再利用しつつ汚物のみを安全かつ清潔な状態で処理できる、そんなテクノロジーが望まれるところです。

それに近しいテクノロジーを、ビル・ゲイツの財団が途上国のトイレ問題を解決するテクノロジーとして開発しているそうなので、その応用でぜひ実現して欲しいです。


移動と生活が一体化した生活EV、そうとう高額になりそうですが住宅費が不要になることを踏まえればかなり需要はありそうな気も。少なくとも僕は購入を本気で検討します。

朝、目が覚めたら自分の部屋が自動運転で初めての街に到着してる。そんな未来も楽しいのではないかと思うのです。

2023/08/15

生成AI時代に自力で文章を書く人

ブログを書くのをサボっていた間に、世はすっかり生成AI時代。

生成AIに要点さえ伝えれば勝手に文章にしてくれるのだからこんなに楽なものはない。このご時世、これを使わずにゼロから文章を組み立てているのはよっぽどのもの好きだけで、その一人が僕である。

むしろ生成AIが広まったからこそ自力でぐだぐだ文章を書きたくなったのだから、天邪鬼ここに極まれりだ。


文章を書く目的は伝達か、書くこと自体が好きかのどちらかで前者は生成AIを使わない理由がない。なので今自力で文章を書いてる人は純粋に書くことが好きな人で、それはそれで尊いものだと思う。

では文章を書くこと自体が好きな人が生成AIをまったく使わないかというとそうでもない。書くことが好きであるほどよりよい文書を書きたいと欲するもので、自分以外の観点から文章を推敲してくれる存在として生成AIはありがたいものだ。


生成AIで作成された画像にそうであることを明示する透かしを入れる案なども出ているようだが、こと文章に限ってはそうもいかない。ひとたび世に放たれた文章を人力かAI製かを見分ける術はなく、人力であることは本人の自己満足以外なんの意味も価値ももたない。

それでよいと思う。むしろ文章を書くのが好きでない人も自力で書かざるを得なかった今までが間違っていたのだ。より純度の高い娯楽となった「自力で文章を書くこと」を、引き続き満喫していきたいと思う。



・・・という文章をChatGPTに推敲させてみたのが以下。ちょっと冗長だし意図を汲みきれていない箇所もあるけど、真摯に推敲してくれた感はある。2023年時点での生成AIの記録として残しておく。


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ブログを書くのことをサボっている間に、世界は完全に生成AI時代に入ってしまった。


生成AIは、要点さえ伝えれば自動的に文章を生成してくれるので、これほど楽なものはない。この時代において、それでもなお手作りで文章を組み立てているのは、本当に熱心な文章愛好家だけだろう。そしてその一人が、偶然にも私自身である。


むしろ、生成AIが普及したおかげで、私は自分で考えながらぐだぐだと文章を書きたくなったのかもしれない。まさに天邪鬼という言葉がぴったりだろう。


文章を書く目的は、情報伝達か、単純に文章を書くことそのものが楽しいか、どちらかに分かれるだろう。前者の場合、生成AIを使わない理由はほぼないだろう。だからこそ、今も自分で文章を書いている人たちは、本当に純粋に書くことを楽しんでいる人たちであり、それは尊いことだと思う。


では、文章を書くこと自体が好きな人々が、生成AIを一切活用しないかというと、必ずしもそうではない。むしろ、文章を書くことが好きなほど、より洗練された文章を書きたいという欲求が強くなる。その観点から、生成AIは他の視点から文章を見直してくれる貴重なツールである。


生成AIで生成された画像には、明示的な透かしを加える提案もあるが、文章の場合はそれが難しい。一度文章が世に広まってしまえば、それが人間の手によるものなのかAIによるものなのかを見分ける方法はない。だが、文章の作者が自分であることが重要なのは、本人自身の満足感以外には何の意味もない。


それでも、それでいいと思う。むしろ、今まで文章を書くのが得意でない人々が、自分で書かざるを得ない状況が正しかったのかもしれない。今後は、自分で文章を書くことが、より高尚なエンターテイメントとして受け入れられ、引き続き楽しんでいきたいと思う。



2022/07/20

DTM2曲目はコパカバーナ

前回開始を宣言したDTM。2曲目はコパカバーナです。


昔母親がエレクトーンで弾いてて思い入れのある曲だったので、うまく再現できてよかったです。お手本にさせていただいたのは例によってこちらの演奏です。


DTMで2曲作ってみて痛感しているのがコードに対する理解の欠如。コードが全くわからないので和音の聞き取りに四苦八苦。てなわけで、GarageBandでの耳コピからは一旦はなれてしばらく音楽理論の勉強に集中しようと思っております。

ヤマハで10年以上エレクトーンを習っておきながら一切コードがわからないって、僕自身の問題に加えてヤマハのカリキュラム的にも問題あるんじゃないかと思わずにはいられない今日このごろです。


2022/07/09

DTMはじめました

DTM(DeskTop Music)はじめました。

DTMとはなんぞやかというと、パソコン使って音楽をポチポチとやるアレです。といっても作曲スキルなどないので、とりあえず耳コピから。

んでできたのがこちら。ゲーム「クロノ・トリガー」から「風の憧憬」です。MacのGarageBandで作りました。



お手本にしたのはこちらのエレクトーン演奏。


一作目にしてはなかなかキレイにできて満足。短い&音がとりやすいゲーム音楽を選択したのが勝因です。

音入力のお供にはこちらのMIDIキーボードを使ってます。


さしあたって何曲かエレクトーン演奏を耳コピした後に、エレクトーン演奏に限らず好きな曲をコピっていけたらなー、なんて思ってます。並行して、かつてエレクトーンを習っていた頃にすらまったく勉強しなかった音楽理論に着手。より音楽を楽しめるようになるのがこの夏の目標です。

そこそこ身につくのが先か。飽きるのが先か。


2022/01/05

EVの正解はアップルカー

新年明けましておめでとうございます。

今年もゆるゆると書いていきますので、どうぞよろしくお願いします。

さて昨年の最後にEV化をすすめるのは脱炭素ではなく自動運転というエントリーを書きました。これを受け、では具体的にどのようなEVが街を走るようになるかを考えてみます。

結論としては正解はアップルカーだと思います。

米ブルームバーグの報道では運転操作のためのハンドルやペダルをなくし、乗員が向かい合って座るリムジンのような座席配置を目指しているといいます。

アップルカーの衝撃 世界の自動車供給網を変える

アップルカーが特徴的なのはハンドルやペダルが無いこと。これですよ、これ。僕が考えているEV普及の条件は完全自動運転なので操作系の部品は一切不要です。

現在世に出ているEVは(自動運転を徐々に組み込んではいるものの)どれも人による操作を前提とした形状なので、それらは世界を変えるには至らず富裕層のおもちゃで終わると思います。

世界が変わるのは完全自動運転が実現したとき。そしてその世界を疾走するのはハンドルもペダルもなく、そもそも運転という概念すらないアップルカーだと思います。実際にはアップル以外のメーカーもどこかのタイミングで同様の形状のモデルを出してくるので、アップル一択にはならないでしょうが。現状のiPhoneとAndroidスマホみたいな棲み分けになるのかもしれません。

運転が苦手な身からすると、人が運転から開放され移動の自由を手に入れた世界が待ち遠しくてたまりません。新しい世界を楽しみに待ちたいと思います。

2021/12/19

EV化をすすめるのは脱炭素ではなく自動運転

昨今話題の電気自動車(EV)。トヨタが2030年までに年間で350万台の販売を目指すと発表した2021年12月現在での僕なりの予想をまとめておきます。答え合わせは10年後にのパターン。

結論からいえばEV化は脱炭素ではなく自動運転によって広まっていくと考えています。なぜなら脱炭素では人の生活は変わらないけど、自動運転では劇的に変わるから。人はキレイごとではなく実利で動くものなのです。


現状では欧米(特にヨーロッパ)を中心に脱炭素を掲げてのEV化が叫ばれていますが、これは程なく行き詰まると思います。それはひとえにエネルギーの問題が解消されないから。再生可能エネルギーへの移行が十分に進んでいない中、脱炭素を掲げて化石燃料の使用を減らせば電気料金が上がるのは火を見るより明らか。さらにEV用の電力供給網の整備もこれからです。

おまけにバッテリーも車両本体も高価ときているのですから、これで各国政府がいうとおりに順当にEV主流になると考えるのはあまりにお気楽すぎます。エネルギー問題が解消されない限りは、脱炭素名目でEV化が進むことはないと思います。


ではEV化がまったく進まないかというとそうではなく、脱炭素ではない別の理由でEV化は進んでいくと思います。自動運転(完全自動運転)です。

クルマの動力がガソリンだろうと電気だろうと、自分で運転しないといけない限り人の生活はほとんど変わりません。ところが自動運転になると生活は一変します。なにせクルマでの移動時間を完全に他の活動に充てることができるようになるのですから、移動のハードルは劇的に下がります。これは都会でも田舎でも劇的に生活を変化させます。

さらに自動運転の実現によりクルマの所有に対する考えも一変します。クルマを呼べば勝手にやってくるのですから自分専用に持つ必要はありません。クルマを使いたいときにアプリで呼ぶスタイルが主流になるでしょう。この時点でEV車本体価格の問題はクリア。またクルマが勝手に充電に行ってくれるのですから電力供給網の問題も同時にクリアです。

最後に残るのが電力価格の問題ですが、クルマ本体を買わずに済むことを考慮すればユーザー側でもある程度は許容できると思います。もちろん安いにこしたことはないので、電力が安価であるほど自動運転の恩恵を受けられる社会になります。この点では再生可能エネルギーに適した地形のある地域や、次世代型を含めた原発の使用に踏み切れる国ほど有利ですね。


以上の予測を日本に当てはめると状況は極めて厳しい。自動運転技術の開発自体はがんばってるものの、タクシー業界の強い反対によりライドシェアは未解禁。再生可能エネルギーを主力にする道は程遠く、原子力積極活用の道もいばらの道です。普通に考えて日本に自動運転社会が到来するのは、他の先進国に遅れること10年くらい経ってからでしょう。


というわけで、

・脱炭素名目ではEV化は進まない
・自動運転の普及とともにEVが主流になる
・日本は自動運転社会でも順当に敗戦

という未来予想でした。

2021/12/18

ネット参加可能な「令和版クイズダービー」案

昭和の名番組、クイズダービー。大橋巨泉司会のもと3組の視聴者が5人の回答者にポイントを賭けて10万点を目指すクイズ番組で、巨泉と回答者の絶妙な掛け合いのみならず、その無駄のない構成が大好きでした。


で、このクイズダービー、令和の今こそ復活させると面白いのではないかと思っています。もちろん令和なりにアレンジした上で。

鍵はインターネットを通じての視聴者参加。専用アプリを使って視聴者もリアルタイムでポイントを賭けられるようにします。ポイントランキングも随時リアルタイムで公開。

そうすることで視聴者がいっそう楽しめるようになるのはもちろんのこと、(録画ではなく)リアルタイムでの視聴が増え番組スポンサーも大喜び。さらにはネット参加者の獲得ポイントに応じてスポンサーが寄付を行うようにすれば企業イメージアップにもつながります。(かつてのカンガルー募金はTBS未来への生命募金へと名前が変わったようです)

問題はキャスティング。竹下景子、井森美幸、北野大あたりは健在として、大橋巨泉、はらたいらに変わる人材はそう簡単には見つからない。なんならAIでかつての出演者を復活させてAIに回答してもらう形式でよいのかも。井森美幸の珍回答をAIがどこまで再現できるか見てみたいですし。

昭和と令和のコンビネーション。いかがでしょうかTBSさん?