2025/06/30

電話でアルファベットを伝える際の頭文字単語リスト(国名・都市名しばり)

先日電話でアルファベットを伝える際に 、各アルファベットを頭文字にもつ単語がパッと浮かばなくて悔しかったので自分用に一覧を作成。


・「アメリカのA、ブラジルのB」とアルファベットを伝えるシーンを想定

・対日本人用。外国人には素直にフォネティックコード使いましょう

・国名、都市名しばり

・Qは知名度ではQuebecと思ったけど"Queen"の伝わりやすさを採用

・Xは良いのが思いつかなかったのでバンド名


America(アメリカ)

Brazil(ブラジル)

Canada(カナダ)

Denmark(デンマーク)

England(イングランド)

France(フランス)

Geogia(ジョージア)

Hongkong(ホンコン)

Italy(イタリア)

Japan(ジャパン)

Korea(コリア)

London(ロンドン)

Mexico(メキシコ)

New Zealand(ニュージーランド)

Oxford(オックスフォード)

Paris(パリ)

Queenstown(クイーンズタウン)

Russia(ロシア)

Singapore(シンガポール)

Taiwan(タイワン)

Ukraine(ウクライナ)

Vietnam(ベトナム)

Wasington(ワシントン)

X Japan(エックスジャパン)

Yokohama(ヨコハマ)

ZOZOTOWN(ゾゾタウン)

2025/01/05

2025年 年初に思うあれやこれ

明けましておめでとうございます。2025年最初のアクションが二度寝だったので今年もきっと良い年です。

年が明けたからといって何が変わるわけでもないのですが、せっかくなので2025年 年初に思うことを書き留めておきます。


一番気になるのはやっぱり生成AI。ラスボスにザラキを唱えまくってた時代から幾星霜、ようやく実用に足るレベルになったなーと思います。しかも今後も加速度的に性能はあがっていくはずなので知的労働においては人間の出る幕はなくなりそうです。

となると人間がやるべきことは何か。それは生成AIが出したアウトプットに対して楽しいか楽しくないかのフィードバックをすることだと思います。

正しいかどうかではなく、楽しいかどうか。人智を超えたAIのアウトプットに対して正否の判断は人間にはできません。AIが正しいです。でも楽しいかどうかの判断は人間にしかできませんし、人間がやるべきです

人間が楽しいと思えるアウトプットをAIに要求し続ければ、AIは常に人間を楽しませる存在として働いてくれます。鉄砲担いでドンパチやってるのが虚しくなるくらいに楽しく安いコンテンツで世界が満たされたら、けっこう世界は平和になるんじゃないかと期待したいです。


次が健康。フィジカルな部分はどうあがいてもAIでは代替できないので、自分の身体は自分で守るしかありません。とはいえ、生体情報の分析からのセルフチェックとか創薬の分野ではAIに大いに活躍してもらってみんなで末永く人生エンジョイしたいものです。


ガジェットで気になってるのがARグラス。年末にビックカメラでXREALを試してみたのですが、もうちょっと大画面で見たい。やっぱり本命はVision Proの廉価版かな?


世界情勢ではトランプ米次期大統領。彼の巻き起こす混乱が少しでも良い世界へむけてのきっかけになるよう見守るばかりです。イーロン・マスクによる政府支出削減にはちょっと期待してて、日本でも似たような動きが起こって欲しいなと思います。


スポーツで楽しみなのは今年もMLB。二刀流復活の大谷がどんな活躍を見せてくれるか。とはいえピッチャーとしては無理せずボチボチ投げていって、シーズン終盤からプレーオフにかけて無双ピッチングしてもらえれば十分です。

放送大学でアメリカの歴史を学ぶ中で、アメリカ各地がどんな歴史をたどってきたかもぼんやり見えてきたので、ドジャースに限らず他の球団にも目を向けて楽しめればよいなと思っています。


今年のToDoで一番大きいのは「次なる生息地探し」ですがそれについてはまた次回にでも。


本年もどうぞよろしくお願いします。


2024/12/31

2024年を振り返ってみる

そんなこんなで大晦日。例によってヒマなので2024年を振り返ってみます。

一番大きかったのは沖縄生活に区切りをつけて千葉にもどってきたこと。借りてた部屋の契約期間が終わったので、それに合わせての沖縄撤退となりました。

沖縄は今でもお気に入りですがなんやかんやで10年以上沖縄暮らしをやってきたので、ボチボチ他を見てみてもよいかなぁと。

ダラダラと実家暮らしをしながら次の生息地として白羽の矢を立てたのが札幌。「どうせなら極端から極端に移ったほうがおもしろくね?」というのが最大の理由ですが、他にも

・成田からLCCが飛んでる
・北大の図書館が立派
・雪国初体験
・久々の都会暮らしもよいかも

といった点で魅力を感じました。

で、ひとまずお試しで1ヶ月行ってみたところ惨敗。とにかく雪が邪魔。雪でランニングできない、自転車も乗れないだと家に引きこもるしかないので、「北海道に住むなら雪のない季節限定」という結論をだしてスゴスゴと引き下がってきました。

北大の図書館は期待通りに素晴らしく、徒歩圏内に住んで読書三昧の日々を送るのも楽しそうでしたが、北大周辺があまりに都会的で殺伐としていたのでそこに住みたいとは思えませんでした。

北大からちょっと離れた琴似エリアは川沿いのランニングコースもあり素敵な感じでしたが、雪があるとランニングもできない、自転車で北大にも行けないってことでやっぱり住むなら春~秋限定という結論。


他の話題としては選科履修生として放送大学の学生やってます(2年ぶり3度目)。放送大学の学生は北大の図書館が使えるという特典狙いでの入学でしたが、勉強も普通におもしろい。今期はアメリカの歴史を勉強中です。年明けにはAppleのキャンペーン&学割でお得にiPadをゲットしようかとも目論んでおります。


あとは1年通じてやっぱり運がよかった。乗った飛行機はすべて順調に飛んだし、病気も怪我も一切なし。健康診断で胃がんと大腸がんが立て続けに再検査になったけれど、内視鏡検査の結果問題なし。あまりに立て続けに再検査→問題なしだったので病院の金稼ぎに使われたんじゃないかとちょっと疑っていますが、まあよし。


といった感じで平穏な年の瀬を迎えております。みなさまにおかれましてもよいお年を。


2024/10/03

唯一の「ストレス解消」方法はストレスの原因を取り除く方法を考えること

今回は「ストレス解消」について。

ストレスが溜まったときにカラオケ行ったり、バッティングセンター行ったりするのがいわゆる「ストレス解消」ですが、これ、ほとんど意味ないと思ってます。

なぜならストレスの正体は記憶であって、歌ったり打ったりしてもその記憶がなくなるわけではないからです。


嫌な出来事が現在進行形で発生している場合を除けば、ストレスは過去にあった嫌な出来事の記憶によって発生しています。通常、人の記憶はエビングハウスの忘却曲線にしたがって時間の経過とともに薄れていきます。

ストレスの原因となっている記憶も例外ではなく、時間が経つほどに忘れられていきます。言い換えるなら、記憶を無くすには(特殊な薬物を除けば)時間を経過させるしかなく、歌ったり打ったりでは記憶は「解消」されません。


前回のエントリーでストレスを固定ストレスと変動ストレスに分類しました。固定ストレスは日々の生活の中で恒常的に発生するストレス、変動ストレスは突発的な事象により発生するストレスです。

固定ストレスがやっかいなのは、いやな出来事を忘れる前に再発してしまい、その記憶が日々強化されるからです。英単語なら忘れる前に復習して記憶を強化するべきですが、嫌な出来事を復習しても生まれるのは強いストレスだけです。

固定ストレスに対しての「ストレス解消」はほぼ無意味です。いっときストレスの原因から気をそらすことができたとしても、すぐまた発生し記憶が強化されるのですから状況はなにも変わりません。

変動ストレスに対しては少しは効果あります。変動ストレスの原因は常習性がないので、ほっといてもそのうち記憶は薄れていきますが、発生直後の記憶が鮮明でストレスを強く感じる時間帯を歌ったり打ったりでスキップできれば、ストレス総量を減らすことはできるでしょう。


確実に効果がある唯一のストレス解消方法はストレスの原因を取り除く方法を考えることです。ひとたびストレスが発生してしまえば忘却に身を任せるしかないのですから、そもそも発生させないのが最善。そのために可能な限りの情報を集め、取りうる選択肢を洗い出し、行動しその効果を検証する。この繰り返しで少しずつでもストレスの原因を減らしていくことこそ、ただ一つのストレス解消方法です。


前回エントリーで「人が持つのはストレス耐性ではなくストレス許容量」と書きましたが、もしストレスの原因となる出来事を片っ端から忘れられる人がいたら、その人は「ストレス耐性がある」と評して良いかもしれません。忘れてばっかりでトラブルも多そうですが。


では。

2024/09/24

人が持つのはストレス耐性ではなくストレス許容量

前回のエントリーでストレス耐性という言葉を連呼したのですが、なんかしっくりこないので改めてストレスとその対処法について考えてみました。


一般的にはストレス耐性という言葉が使われていますが、思うに人が持つのは耐性ではなくストレス許容量

で、蓄積されたストレスが許容量内におさまっていることが多い人をストレス耐性がある、しょっちゅう許容量を超えている(オーバーフローしている)人をストレス耐性がないとみなしているのです。


となると、ストレスの対処にあたって大切なのはストレスをその許容量内におさめ続けること。許容量自体を増やせればてっとり早いのですが、おそらく許容量は生まれついてのもので後から増やすのは難しそう。なので取りうる手段は「蓄積ストレス量を減らす」となります。

ストレスは家計における固定費と変動費のように固定ストレス変動ストレスに分けられます。固定ストレスは日々の生活の中で恒常的に発生するストレス、変動ストレスは突発的な事象により発生するストレスです。

家計費節約の肝が固定費の削減であるように、ストレス管理でもまず取り組むべきは固定ストレスの削減。ここを上手に削減できれば、多少変動ストレスが発生しても許容量を超えずにすみます。

一方で固定ストレスが多いと、ほんのちょっとの変動ストレスでオーバーフローするストレス耐性がない人になってしまいます。もし固定ストレスのみでオーバーフローしたなら状況は危機的。そうならないよう固定ストレスの削減を心がける必要があります。


我が身に目をやれば、決してストレス許容量は多くないタイプです。が、固定ストレスの削減は徹底しているのと、変動ストレスも(生来の志の低さゆえに)少なめなので、総じてオーバーフローは稀な感じです。

世には志が高い人も多くいますが、そういう人も、いやそういう人こそ、変動ストレスの受け入れ余地は大きいほうがよいので、結局、固定ストレスの削減は万人が真っ先に行うべきことだと思います。


いざストレスの削減といっても、そもそも自分が何にストレスを感じているのか把握しないといけないですし、それを取り除くのもまた一苦労。ですが、そこを乗り越えた先にこそ心の平穏があるのやもしれません。


一切触れなかった「ストレスの解消」ついてはまた次回にでも。


唯一の「ストレス解消」方法はストレスの原因を取り除く方法を考えること

2024/09/20

志が低いという長所

ストレスがなければそれで幸せと前回書いたのですが、その大きな要因となっているのが志が低いという僕の性質です。

この「志の低さ」はとんでもない長所だと自認しております。


目標を高く掲げ、日々努力を積み重ね、MLBで50-50を達成するような人生が素晴らしいのは間違いなく、僕もそういった姿に大いに楽しませてもらっています。

が、自分がそうなりたいと思うかは別問題。得るものが大きい代わりに費やす犠牲も膨大な人生は、そこで生じるストレスも相当なものと推察します。

自分がそれに耐えられるとは到底思えない。

もし僕の志が高く、「MLBで60-60だ」とか本気で思ってしまったらあっけなくストレスに潰されて心身ともに病んでしまうことでしょう。幸い志が低いのでそうはなっていませんが。


ここで留意しておきたいのが志の高低は後から自分の意思でどうこうできるものではなく、先天的なものと幼少時の環境である程度決まってしまうのではないかという点。

もしそうであれば次に重要なのがストレス耐性との食い合わせです。

志が高く、ストレス耐性も高ければ偉業を成すことも十分可能でしょう。

ストレス耐性が低くても、志も低ければそれはそれで幸せな人生(僕)。

問題なのは志が高いのにストレス耐性が低い場合。低いストレス耐性ゆえに志は遂げられない一方で、高く固定されてしまった志を下げる事もまたストレスというデッドロックに陥る可能性があるからです。

もちろん構造上の問題を見抜ければ対処のしようもありますが、そこに気づけなければストレスまみれの人生が待ち受けています。

幸いそうはならなかったので、志が低くて超ラッキーということです。


そう考えると子どもに対してむやみに「大きな夢を持とう」とけしかけるのもどうかと思う。

十分なストレス耐性があって高い目標を掲げられる子はそれでよいけど、そうじゃない子には「無理に目標もたなくても幸せな人生は送れるよ」という道を示してあげるのも大事じゃないかと、志低くのほほんと暮らしてる僕は思ったりするのです。


補足エントリー: 人が持つのはストレス耐性ではなくストレス許容量

2024/09/18

望むのはストレスが極小化された状態

あいかわらず大きな目標を立てるでもなく日々のほほんと暮らしているのですが 、自分が幸せと感じる状態についてふと言語化できたので忘れないうちに書き留めておきます。

僕が幸せと感じるのはストレスが極小化された状態のとき。

プラスは望まずマイナスがなければオッケーという意識の低さがいかにも僕。

とはいえ、何かがおかしくなってる原因の大半はストレスなので、それを極小化するってのはそれなりに意義も価値もあるとは思う。


ストレスを大別すると、身体的なストレスと精神的なストレス。

身体的なストレスを無くすとはすなわち健康であるということ。なので、健康は常にトッププライオリティ。ただし果てなき健康道を追い求めることにストレスを感じてしまっては本末転倒なので、時間的、体力的、金銭的に無理のない範囲でほどほどに健康に気を使うのがマイスタイル。

精神的なストレスを無くすとはすなわちやりたくないことはやらないということ。そのために必要なのは逃げ道と自己決定権。僕にライフワークと呼べるものがあるとすれば、逃げ道を増やすことと、常に自己決定できる強さを身につけることです。


かねてより信条として掲げてきた「自由」と「自然」との兼ね合いとしては、

自由=ストレスを回避する選択肢と決定権(手段)
自然=ストレスが一切かかっていない状態(理想)

といったところです。


というわけで引き続きのほほん道をぷらぷらと歩んでゆきます。

2024/01/31

生成AIの普及ですべての知識が英語に集約される

昨日書いた生成AIで要点だけが流通する社会が仮に実現したとして、その時に何が起こるかをもうちょっと考えてみます。

結論として英語での知識の集約がより一層進むのではないでしょうか。現在でもインターネット上の情報の約6割が英語らしいですが、それがさらに顕著になります。


昨日書いたとおり、生成AIの活用で世の中に流通する情報は要点だけになります。

人 → <生成AI> → 要点 → <生成AI> → 人

するとインターネット上に蓄積されていく情報も要点のみとなります。要点は保存、活用が極めて容易なので世界の情報はガンガン生成AIで要点化されていきます。

さて、生成AIにより作られたこの要点はどの言語で表現されているでしょうか。

もちろん英語です。現状、実用に足る生成AIを提供している会社がすべてアメリカの会社なのですから。

こうして世界の価値のある情報はすべて英語で要点化され、世界中の人が生成AIを通じてそれを活用するようになるのです。


英語で要点化された情報世界は、非英語圏の人にとってどのような世界なのでしょうか。

表面上はなにも問題ありません。要点が英語で表現されているとはいえ、それを使う際には常に生成AIを通すのですからそこで翻訳も行えばなんら不便はありません。

ただし翻訳を行う分、生成AIの利用コストは上がります。それは一生かかるコストですから、それを嫌がり母語ではなく英語でのコミュニケーションを選ぶ人は多く現れることでしょう。英語話者の数はさらに増え、ますます英語での知識集約が進みます。


その結果、

生成AIが普及した世界は皆が英語を話す世界なのかもしれません。

2024/01/30

生成AIで要点だけが流通する社会へなっていく

MicrosoftのOffice 365に搭載された生成AI「Copilot」が本格的に提供開始されたそうです。

以下の記事にもあるとおり、ひとまず文章においての主要な使い方は文章作成と要約になります。

超絶便利!「Copilot for Microsoft 365」でWordの文書作成が爆速化するhttps://ascii.jp/elem/000/004/181/4181541/

そこで思うのが「どっちもいらなくない??」ということ。


生成AIを使った文章作成の流れは

要点 →<生成AI> → 文章

となり、要約時は

文章 → <生成AI> → 要点

となります。起点と終点はどっちも要点なので途中のプロセスは全部ムダ。我々はムダのために仕事をし、生成AIはそのムダを代わりにやってくれているのです。


ではどうすればよいか。流通させるのは要点のみとしてしまえば良いのです。

人 → 要点 → 人

LINEのやりとりなんてこんな感じですよね。日常生活で伝えたいことなんてひとことふたことで十分。ですが、入り組んだビジネスの現場ではそうはいかないケースもあります。そこで生成AIを人と要点の間に挟むのです。

人 → <生成AI> → 要点 → <生成AI> → 人

情報の送り手は生成AIの力を借りて簡潔かつ純度の高い要点を作り、送る。受け取った側は要点をそのまま咀嚼してもよいし、難しい場合は生成AIにわかりやすく成形してもらってから咀嚼すればよいのです。


この方法の良いところは情報の流通コストが圧倒的に下がることです。従来はノイズをたっぷり含んだ「文章」という形式で流通していたものが、純度の高い「要点」だけになるのだから単純に容量として少なくなりますし、誤解も防げます。

応用も効きます。情報の送り手と受け手の言語が異なった場合途中で翻訳が必要ですが、要点だけを流通させていれば翻訳するのは要点のみ。文章全体に比べれば格段に少ない量で済みます。

後から情報の参照、結合をする場合も、文章全体に対して行う場合に比べて要点だけであればその労力、制度は格段に向上するでしょう。


かつてIT革命が情報を紙から解き放ち世界中に流通させました。今度は生成AIが要点を文章から解き放ち情報空間に流通させるのです。しらんけど。

2024/01/01

2024年 明けましておめでとうございます

明けましておめでとうございます。

2024年は辰年ということでうっかり年男だったりしますが、だからといって何か変わったことをするでもなく、これまで通りのんびりぐうたらと日々を過ごしていきたいと思います。

今年楽しみなのはなんといってもMLB。大谷と由伸が加入したドジャースがどんな戦いを見せてくれるかわくわくします。もちろんいつも通りの日本プロ野球もあり、加えてオリンピックもあるとのことでスポーツ観戦には事欠かない一年になりそうです。

世界に目を向けると日に日に不安定さが増している状況で暗澹たる気分になりますが、そこに関与するだけの能力も意欲も持ち合わせていないので、せめて関心だけは持ち続けていきたいと思います。願わくばテクノロジーの進化がちょっとずつでも騒乱の種を取り除いていってくれますように。



2023/11/28

座右の銘というか塞翁さん家の馬のお話

座右の銘を聞かれるほど高尚な人生を送ってきてはおりませんが、稀に聞かれた際には

人間万事塞翁が馬

と答えるようにしています。これと似た言葉に

禍福はあざなえる縄の如し

という言葉もありまして、今日はその辺のところについて語ってみたいと思います。


まず「人間万事塞翁が馬」。言わずとしれた故事成語で、塞翁さんの馬が逃げてしまったという不運に端を発して幸運と不運が交互に訪れたことから、不運に思えたことが幸運につながったり、その逆だったりすることのたとえとして用いられます。

「禍福はあざなえる縄の如し」はそのまんまですが、幸福と不幸はより合わせた縄のように交互にやってくることを指します。

二つの言葉が言わんとしているのは、先々のことなんてわからん!ってことです。すなわち現在得ている情報から事象を完全に把握するのは不可能であり、より詳細に把握するには必ず時間の経過が必要だということ。この世の事象はすべからく四次元的なのです。

時間の経過とともに事象が変容していくのであれば、当然それを良しとする時間帯もあれば悪しとする時間帯もあるわけで、それがあざなえる縄の如しってなわけです。


それはそうとして、大事なのはこの事実をいかに自分の人生に活かすか。受け身に活用するなら、たとえBadモードの時でもそのうち良いことがあるさと自分を慰めるってなとこですが、ここは一つ積極的に活用して

・Goodモードの時はBadにつながる可能性を模索しておく
・Badモードの時はGoodにつながる可能性を模索しておく

というのはどうでしょうか。

先々のことはわからない以上、どのようにGoodがBadに、BadがGoodにつながるかの確証を得ることはできません。が、その可能性を模索しておくことはできます。そしてある程度模索しておけば、いざそのパターンに入った時にそれなりにスムーズに対処することができます。

そしていざ実際に起こるのは全く想定していなかったパターンというのが世の常ですが、それでもそれなりに模索をしておけば諦めもつくってなもんです。

あと必ずしもGoodをBadに変える必要はなく、GoodをよりGoodにしてもよいわけでそっち側の可能性を模索しておくのも大切です。逆のBadがよりBadになるケースは想像したくもないですが、可能性がある以上は心構えだけでも持っておいたほうが良さそうです。


まとめると、「人間万事塞翁が馬」も「禍福はあざなえる縄の如し」も、ともすると思考停止に陥ってしまいがちな自分に対して、あらゆる可能性を模索して主体的に人生を送るモチベーションを与えてくれる言葉なので大切に胸にしたためておりますよ、というお話でした。

では。

2023/08/23

流浪の民専用 インターネット県

かれこれ10年以上流浪の民をやっておりますと、常に付きまとうのが住民票の問題。引っ越す度に移すのも面倒なら、実家のままにして郵便物を都度転送してもらうのもまた面倒。

そもそも定住を前提にすべての行政システムが設計されているのが問題で、マイナンバーがある今、住所を個人特定の要素として用いる必要はまったくないと思うのです。


とはいえ、数多ある現存のシステムからまるっと住所を排除するのもまた問題。

ではどうするか。

流浪の民専用の架空の県、インターネット県の設立を提案します。


インターネット県(I県)の扱いは基本的には他の都道府県と同様です。確定申告、納税などはI県(の配下自治体)に対して行い、保険証の交付もI県からです。

唯一違うのが郵便がすべて転送前提となっていること。I県住人は自身のI県住所からの転送先をかならず設定しておきます。すなわち流浪の民は移動するたびに最新の転送先を設定することで、どこにいても郵便物を受け取れるというわけです。

I県に古臭い物理的な役所は存在しません。すべての手続きはマイナポータルから行います。既存システムにとらわれないI県は、マイナンバーを中心に据えた新しい行政システムの導入にはうってつけ。デジタル庁が腕をふるった理想のシステムをまずはI県へ導入、しかる後に既存の都道府県へ導入していけばよいのです。


うーん、いいなぁインターネット県。流浪の民の理想郷ではないか。

なおI県のふるさと納税返礼品はもちろんAmazonギフトカード。総務省のひきつる顔が見ものです。


では。