2023/11/28

座右の銘というか塞翁さん家の馬のお話

座右の銘を聞かれるほど高尚な人生を送ってきてはおりませんが、稀に聞かれた際には

人間万事塞翁が馬

と答えるようにしています。これと似た言葉に

禍福はあざなえる縄の如し

という言葉もありまして、今日はその辺のところについて語ってみたいと思います。


まず「人間万事塞翁が馬」。言わずとしれた故事成語で、塞翁さんの馬が逃げてしまったという不運に端を発して幸運と不運が交互に訪れたことから、不運に思えたことが幸運につながったり、その逆だったりすることのたとえとして用いられます。

「禍福はあざなえる縄の如し」はそのまんまですが、幸福と不幸はより合わせた縄のように交互にやってくることを指します。

二つの言葉が言わんとしているのは、先々のことなんてわからん!ってことです。すなわち現在得ている情報から事象を完全に把握するのは不可能であり、より詳細に把握するには必ず時間の経過が必要だということ。この世の事象はすべからく四次元的なのです。

時間の経過とともに事象が変容していくのであれば、当然それを良しとする時間帯もあれば悪しとする時間帯もあるわけで、それがあざなえる縄の如しってなわけです。


それはそうとして、大事なのはこの事実をいかに自分の人生に活かすか。受け身に活用するなら、たとえBadモードの時でもそのうち良いことがあるさと自分を慰めるってなとこですが、ここは一つ積極的に活用して

・Goodモードの時はBadにつながる可能性を模索しておく
・Badモードの時はGoodにつながる可能性を模索しておく

というのはどうでしょうか。

先々のことはわからない以上、どのようにGoodがBadに、BadがGoodにつながるかの確証を得ることはできません。が、その可能性を模索しておくことはできます。そしてある程度模索しておけば、いざそのパターンに入った時にそれなりにスムーズに対処することができます。

そしていざ実際に起こるのは全く想定していなかったパターンというのが世の常ですが、それでもそれなりに模索をしておけば諦めもつくってなもんです。

あと必ずしもGoodをBadに変える必要はなく、GoodをよりGoodにしてもよいわけでそっち側の可能性を模索しておくのも大切です。逆のBadがよりBadになるケースは想像したくもないですが、可能性がある以上は心構えだけでも持っておいたほうが良さそうです。


まとめると、「人間万事塞翁が馬」も「禍福はあざなえる縄の如し」も、ともすると思考停止に陥ってしまいがちな自分に対して、あらゆる可能性を模索して主体的に人生を送るモチベーションを与えてくれる言葉なので大切に胸にしたためておりますよ、というお話でした。

では。