2012/09/24

ツールを英語表示設定で使うと色々良いことがあるよ。

3年くらい前から、自分が使うツール・ガジェット類は全部英語表示設定で使うようにしています。

例えば
・パソコンのOS
・ブラウザ
・iPhone
・Googleの各種サービス(Gmail、Google Calendar、YouTube等)
・ 各種SNS(Facebook、Twitter、LinkedIn等)
あたりを全部英語表示設定にしています。

最初は英語の勉強になればいいかなという軽い気持ちで始めたのですが、今や日本語表示にはとても戻れなくなりました。

その理由をパッと思いつく限りあげてみると

①微妙な日本語訳にイラッとすることがない。
②サービス開発者の意図通りに機能を使うことができる。
③海外環境でそのツールを使う際にもすんなり使うことができる。
④英語でそのツールについて話す時に単語に迷わない。

特に大きいのは最初の二つ。

①で言えばiPhoneの日本語メニューとか最たる例。結構ひどいですよねあれ。一応意味はわかりますが日本語的に微妙というかなんというか。iPhoneの世界観をかなり損なっている気がします。というかそもそもiPhone自体が英語の文化圏で創られたものなのでその世界観を最も忠実に伝えられるのはやっぱり英語だと思います。

②も根っこは①と同じなのですが、そもそもの機能が英語圏で創られているのであれば、英語で受け取ってこそその機能を本質的に理解できると思います。

例えばGmailのスパムメール分類機能。Googleはスパムと疑わしきメールにスパムラベルを付けて分類してくれますが、それ以前にそもそもスパムメールを始めっから無かったことにすることがあります。スパムフォルダに分類されることも無いので受信者はそのメールが存在したことすら気づくことができません。(僕から見れば結構困ったちゃんな機能)

当初はGoogleが本当にそういうことをしているのかどうか確証が持てなかったのですが、Gmailのスパムメール一覧画面でスパムが一つも無い時の英語表記が「Hooray, no spam here! (勝手意訳:よっしゃー!スパムメール無〜し!)」だったのを見たときに確信しました。こいつらスパムメールを勝手に削除してるな、と。彼らにとってはユーザーにスパムメールの存在を気付かせることなく、その手を煩わせないことが美徳なのでしょう。日本語表示の「スパムメールはありません。」だと開発者の思想をここまで理解することはできません。

今は海外を旅行中なので③④の恩恵にも預かってます。ホテルとかネットカフェの英語PC使ってもまごつくことはほとんどありません。(現地語設定だと流石にキツイですが。。)

デメリットがあるとすれば日本語のメニュー名、人名が分からなくなること。機能を日本語で説明するときに正確な単語が出てこないことがしばしば。あとFacebookを英語表示にすると友達の名前も全部英語で表示されるので名前の漢字が分かりません。急いでるときはひらがな表記でごまかしてます。時間があるときやひらがな表記するのは失礼かなって思う時は、日本語表示にしているアカウントで漢字名を確認したりしてます。ちと手間ですね。

もちろん英語表示へ変更した当初は分からない英単語が多々あり辞書引いたり一度日本語設定に戻したりしてました。最近はそういうこともかなり減ってきたのでちょっとは英語の勉強にもなったと思います。

トータルで見ればメリットの方が大きいと思うので興味がある方は是非お試し下さい。

あ、もちろん英語表示が望ましいのはその発祥が英語圏のものに限ります。日本製のものは日本語表記でこそその本質が分かるでしょう。とは言っても今身の回りに該当する日本製ツールはほとんどありませんが。

では。


【2021/03/03 追記】
つい先日、基本英語表示で使うという僕のスタンスに立ちふさがる強大な敵が現れました。その名もe-Tax(WEB版)。

このe-Tax(WEB版)、MacにおいてはSafariからしか使えないというなかなかの困ったちゃんなのですが、それだけなくSafariを英語表示にしているとそもそもログインできないというとんでもない不具合があります。

厳密にいうと、Safariからe-Taxを使うためにインストールさせられる拡張機能が日本語にしか対応していないようです。

回避策としては、System Preferences の Language & Legion から Safariのみ日本語表示に変更すればログインできるようになります。

日本語表示にしないと使えない公のシステムなんて、不具合どころか下手したら人種差別になりかねないのでは。平井デジタル改革担当大臣にはぜひこの辺のクズシステムを一掃してもらいたいです。

2012/09/20

【組織論 後編】目標を点で持つか面で持つか。

人の話組織の話と進めてきた僕独自の人・組織論。最終回の今回は組織の目標の持ち方について考えてみます。

結論から言ってしまえば、(前回の最後で言及した)出来る限りレゴ型組織の要素を強くし、所属する人が自分の特徴を活かしてイキイキと働くためには、組織の目標は点では無く面で持つのが良いのではないかと思っています。

言い換えると組織の目標はある程度抽象的で自由度があった方が良いということです。

目標を点で持つというのは例えば「●●の業界で、売上◯◯円を達成し業界トップになります。利益も△△円出します!」といったように非常に具体的に目標を決めるやり方。

一方で目標を面で持つというのは上記の例から条件を一つだけに絞って例えば「利益を△△円出します。」という目標だけにするものです。

※数学的に空間上で条件が3つ(X軸、Y軸、Z軸)揃うと1点が特定され、条件が1つだけだと面になるのでこのように表現しました。
※条件を一つだけに絞ることはその組織が何を最も大切にするのかを浮き彫りにする効果もあると思います。

目標を点で持った場合は達成された時の状態がほぼ一意に特定されているのに対し、目標を面で持った場合は目標が達成された状態を複数パターンで描くことができます。

さて、察しの良い方はそろそろお気づきかもしれません。

目標を点で持つのと相性が良いのは前回説明したジグソーパズル型組織、目標を面で持つのと相性が良いのはレゴ型組織です。

僕は人が幸せに活動するには極力レゴ型組織の要素が強い方が良いと考えています。ただし前回言及した通りレゴ型組織には組織の全体像が変わりやすいという特性があります。もし目標を点で持っていると、目標に対して組織がそぐわない状態となってしまうことも考えられますが、目標を面で持っておけばその時の組織の状態に合わせて目標が達成された状態をイメージすることができます。

更に言えば目標を点で持っていると何かの外的な要因によってそもそもその目標が達成不可能となることも考えられます。例えば対象としていた業界が突然何らかの理由で大幅に縮小してしまったとか。そうなると組織としては行き詰ってしまいます。新しく点の目標を設定し直して、組織もまた作り直しです。

一方で目標を面で持っておけば、何か想定外の事象が発生したとしてもその事象を考慮した上での新たな達成イメージを持つことができます。

そういった外的な要因に対しての柔軟性という点でも目標を面で持つというのは有効です。

僕が「目標を面で持ってるなー。」と感じている例をひとつ挙げておきます。

サイバーエージェント(CA)という会社です。アメブロなんかで有名な会社ですね。この会社は本当に様々な特徴を持っている会社なのですが、僕が興味深く思っているのがこの会社が掲げている「21世紀を代表する会社を創る」という目標です。

ちょっと前までは正直「なんて曖昧な目標なんだろう。そんなんで組織は進んでいけるのかな?」と思っていました。ただし最近これは面で持っている目標なのだと気づきました。(あくまで僕が思っているだけです。社長の藤田さんがどう考えているかは分かりません。)

事実CAはそのメイン領域を広告代理店→メディア→テクノロジーと刻々と変化させています。その都度大量に採用もしているようなので、どちらかと言えば人というよりは外的要因(時流、社会情勢)に合わせて変化させているのだと思いますが、それができるのも最終目標としているのが「21世紀を代表する会社」という抽象的な自由度が高い目標となっているからです。

人も、時流も何がどう変化するか分からない。そういう前提で組織が掲げる最終的な目標は出来る限り自由度高く設定しておく。そして短期的な目標はその時点で所属する人を中心として、皆が自分を活かしてイキイキと働くことができるものにする。というのが今のところ僕が良しと考える人と組織の在り方です。

と言いつつ、今んとこ組織を作る気は全くありませんが。

では。


【2021/03/02 追記】
なかなか良い三部作であった。旅行中によくこんなの書く余裕があったなーと思いつつ、一旦いままでの日常を離れたからこそ、それまでの組織人生活を俯瞰して見つめ直せたのかなとも思う。

今の僕はと言えば、あいわらず組織をつくる気はなく、あてどなく自分の自由度最優先。ねんど細工型人生。

【組織論 中編】ジグソーパズル型組織とレゴ型組織。

独自の人・組織論。前回の人の話を受け、第二回の今回は組織の話です。

僕は組織は大きく分けて二通りあると思っています。一つが組織主体の組織。もう一つが人が主体の組織です。

組織が主体の組織において最も重視されるのは組織の目標です。その目標の実現に向けて、組織を構成する人が配置されていきます。先に明確な絵を描きその実現に向けて人(ピース)が配置されていくので、これをジグソーパズル型組織と呼ぶことにします。

一方、人が主体の組織。こちらで重視・尊重されるのは個々の人です。組織を構成する人がありきで、その人達を組み合わせて何ができるかを組み立てていきます。先に人(ピース)がありきで、その組み立てによって全体の形が造られていくので、これをレゴ型組織と呼ぶことにします。

さて、ここで前回の人の話に一旦戻ります。

前回の結論は、

・人の本質は変わらない。
・本質に沿った形の自然な成長を促すべき。
・本質に逆らった矯正は最低限に抑えるべき。

というものでした。これを踏まえると、人にとって望ましい組織は上記二つのどちらになるでしょうか?

そう、レゴ型組織です。個々の人の形(特徴)を尊重しそれを活かしながら全体が造られていくレゴ型組織の方が、人はストレス無く自然に自分の形で活動し成長することができます。

一方のジグソーパズル型組織。こちらは先に絵を描いているため、手持ちのピースで全部のパートを埋めないといけないという宿命にあります。人から見れば、各人は必ずどこかのパートに当てはめられることになります。

当然各個人の特徴と合致度の高いパートへ当てはめていくことにはなりますが、大抵の場合手持ちのピースではぴったり埋まらないパートが出てきます。そうなると本来はそのパートの形では無い人を、無理やりそのパートへ当てはめないといけないケースが出てきます。これは前回触れた通り矯正という望ましくない行為になります。

前回の最後で言及した、当然の活動として矯正が行われる場合とはこのケースに当たります。ジグソーパズル型組織はその生い立ち上、人に対する矯正を行わないといけない宿命を背負っているのです。

じゃあ、ジグソーパズル型組織よりもレゴ型組織が優れているかというと必ずしもそうとは言えません。

レゴ型組織はその構成を個々の人に依存しているため、全体像が変化しやすいという不確定要素をはらんでいます。当初掲げた具体的な目標を確実に実現するという点で言えば、最初に全体像を描くジグソーパズル型組織の方が有利です。

ので一概にどちらが良いと言えるものではないし、実際の組織はこの両方の型を組み合わせながら形作られているケースが大半でしょう。

しかしながら、その組織に所属する人にとってはレゴ型要素が強い方がストレス無く幸せに働けるのは間違いありません。

そのためにはどうしたら良いか。それは組織としての目標の持ち方に鍵があります。

という訳で最終回の次回は、組織の目標の持ち方について考えてみます。


【2021/03/02 追記】
どちらが良いと言えるものではないと書きましたが、それは全体視点で見た場合。人視点でみた場合は明確に良し悪しがあります。

ぶっ飛んだ特徴を持っている人が活躍しやすいのは圧倒的にレゴ型。その特徴を生かした目標をつくれるので。

一方でさしたる特徴のない形をした人が活きやすいのはジグソーパズル型です。どこにでもスルッとおさまるので重宝されることでしょう。

自分の特徴をよく見極めた上で組織を選ぶのは重要と思います。

2012/09/19

【組織論 前編】人の本質は変わらない。

これまでの人生の中でそれなりの数の人と関わって来ました。特に前職においてはマネジメントを担う立場から人と組織をどのように動かしていくかに苦心しました。

その中で至った人と組織に対する僕なりの見解(現時点での結論)を三部構成でまとめてみます。

まず初回は人について。

人に対する僕の結論は人の本質は変わらないということです。

人は変わらないではなく、人の本質は変わらないです。

すなわち、ある人の特徴を仮に星型(☆)とすると、


この人は基本的には一生ずっと星型です。自然と丸型や四角形になることはありません。ただし一生このままで変化しないかというと決してそうではありません。

星型が大きくなったり、


尖ってる部分がさらに伸びたり、


と、星型の特徴を維持したままでプラスに変化していくことは十分に考えられます。これが成長と呼ばれるものです。当人にとって非常に望ましくかつ自然な形です。

一方で、この星型を無理やり三角形(△)に変えようとするとどうなるでしょうか。基本的にそれは対象者にとってストレスとなります。

大抵の場合、自分ができうる範囲での三角形に留まるか、


もの凄く頑張っても、せいぜいこれくらいの三角形です。


このように無理やり形を変えようとするのは矯正という行為で、当人にとって非常に不自然な状態です。この状況が長く続けばストレスが当人を蝕むばかりでなく、本来持っている可能性をも殺してしまいかねない危険な状況です。当人にも周囲にも良い影響は無いので極力避けた方が良い状況です。

この矯正が唯一必要となるのが、世の中で生きていくにあたり最低限の能力が身についていないとき。いわゆるしつけです。仮に最低限必要な能力を◯部とすると、


こういう状況の場合は、ある程度矯正して◯部は身に付けさせる必要があります。ただしそれ以上の矯正は行わず、当人として自然な形での成長を促すのが良いです。

まとめると、

・人の本質は変わらない。
・本質に沿った形の自然な成長を促すべき。
・本質に逆らった矯正は最低限に抑えるべき。

となります。

以上が初回の人についての話。

上述の通りしつけの範囲を越えた過度の矯正は望ましくないのですが、組織によっては当然の活動として矯正が行われる場合があります。

それはそもそもの組織の在り方に依拠している事象なので、次回はその観点から組織のタイプについて考えてみます。


【2021/03/01 追記】
これは言い換えると人に過度の期待をしないという諦めの姿勢なのですが、それでよいと思ってます。

なまじっか人に一方的な期待をするから不自然なプレッシャーを与えたり、勝手に落胆したりするのです。最善は尽くしつつも、結局はなるようにしかならない、良い変化が起きたらラッキーくらいの心構えで良いのです。

基本的には大人も子どもも同様ですが、子どもの場合はまだ特徴を見出す機会の施行回数が少なく、どういう特徴を持つ形なのか定まっていない状況なので、特徴を見出し伸ばすための機会と時間を多く与えてあげることは重要だと思います。

あと、人(他人)にフォーカスあてて書いてきましたが、もちろん自分に対しても同様。矯正はそこそこに、特徴に合わせた良質な成長機会を自らに与え続け、たまたまそれがうまくハマったらラッキーと思いましょう。

2012/09/18

[マレーシア-05]ペナン島のビーチはこんな感じ。(タンジュンブンガとバトゥフェリンギ)



個人的にはやや期待はずれだったキャメロンハイランドを過ぎ、次にやってきたのはペナン島。

島といえば海!海といえばビーチ!ってなわけで見て行きましょう。

まず最初に来たのがペナン島北部のタンジュンブンガ。思ったより人は少なめ。


漁船かな。


マリンアクティビティーもひっそりと。ワイワイ遊ぶというよりは、のんびりと過ごすビーチのようです。


水上モスク。そうここはイスラム教の国。


ビーチ沿いの道を進んで、お隣のバトゥフェリンギへ移動。


バトゥフェリンギビーチ。タンジュンブンガよりはお店多いですが、まぁこちらもゆったりした雰囲気。



ご飯はこんな感じ。うまい。


ペナン島は日本からの移住者も多いそうです。

確かに気候も良く、海もあって食べ物も美味しいですが、僕的にはいまいち刺さらなかった感じ。どれも普通でぐっとくるものがないというか。

もうちょっと島のほうぼう回ってみると色々分かったのかもしれませんが、日程の都合上ペナン島はここまで。

次はマレーシア国内を一気に東へ飛んで、ボルネオ島はコタキナバルへ進撃です。

 

ちなみにここでKindle死亡。地味に痛い!以後の読書はiPhoneに頼ることになりました。。



【2021/02/28 追記】
Kindleの死亡は、キルヒアイス死亡のような喪失感。。

2012/09/17

[マレーシア-04]キャメロンハイランド郊外ツアー(たいしたことない)


今日はキャメロンハイランドの郊外ツアーに参加してきました。

はっきり言ってしまうと、たいしたことありませんでしたっ!心に響いたのは茶畑くらい。

そもそもキャメロンハイランド自体、開発されて作られたリゾート地なので、あらかじめそこに大層な何かがあった訳じゃないんですよね。

そこが開発されて観光客も集まるようになり、そしたら観光ツアーでも組んで更にお金落としてもらうべー的につくられたツアーなので、まぁ中身が薄いのも致し方なしか。

そんな訳であんまりお勧めではないのですが、備忘録的に写真紹介しておきます。

朝10:00に出発して、15:00くらいに戻ってくる半日強のバスツアーでした。茶畑→はちみつ園→植物園と回ります。

まず最初は茶畑。ツアー中唯一印象に残ったところです。やっぱり雄大な景色は良いですね。

果てしなく広がる茶畑。


一角はこんな感じ。


茶葉ちゃば。


続いて、茶葉の加工工場。帰国後お会いした方に渡したお土産はここで買いました。




場所を移して、はちみつ園。うん、普通。





そして植物園。こちらも普通。




以上、キャメロンハイランド郊外ツアーの紹介でした。

逆説的に作られたリゾート地であることが分かるツアーでした。

キャメロンハイランド滞在はここまで。次はペナン島へ舞台を移します。


【2021/02/28 追記】
やっぱり歴史のある街とない街では決定的な違いがありますね。歴史がありつつも暮らしやすく整備された街ってのが好みです。

2012/09/16

10年の社会人生活を振り返ってみる。

僕が社会人になったのが2002年の4月。職を離れたのが今年(2012年)の7月なので丸10年社会人生活を送ったことになります。

日本に戻ってからだとゆっくり振り返る時間を持ち損なってしまいそうなので、今のうちにその10年を軽く振り返ってみようと思います。

10年の間に在籍した会社は2社。最初に入った会社には3年ちょっと、次に入った会社には7年在籍しました。

10年を色んな軸で振り返ることができるのですが、自分として最も重要だと思う軸が「自我の有無」という軸です。

ここで言う自我が無い状態というのは自分としてやりたいことが持てておらずそれを会社に委ねていた状態。自我がある状態というのは会社とは関係無しに自分がやりたいことを持てている状態です。

ざっくり分けると最初の7年は自我が無かった状態。2年の思考期間を経て、最後の1年が自我が持てている状態です。

最初の7年は自分としてやりたいことが自分自身で分かっておらず、何をするかを完全に会社に依存させていた時期でした。もちろん何かの機会(採用面接など)に自分がやりたいことを主張する機会はしばしばあり、その時には自分はこれこれがやりたいですと言ってはいたのですが、それは今自分の目の前にある選択肢の中からやりたいと思うことを選んでしゃべっているだけで、自分の中から出てきた本来やりたいことではありませんでした。

じゃあその当時、自分として不幸であったかというとそうではなく逆に充実感を感じていました。自我が無いがために結果として自分の目の前にあるのは会社としてやるべきことのみ。それに取り組みさえすれば良いという状態なのでむしろ迷いなく働いていました。残業もあまり苦にせず積極的にやっていた時期。

会社から見ても扱いやすい存在だったかもしれません。基本的には会社の方向性には逆らわずに従順に行動していたので。もちろん能力面でのできる/できないはあり、迷惑かけたことは多々ありますが。

この状態がずっと続けばそれはそれで幸せだったのかもしれませんが、そうはいかず。

状況が変わリ始めたのが社会人生活7年目を迎えたあたり。この頃から会社としてやるべきことに対し、会社の理屈としては分かるんだけど個人として納得というか共感できないということが多々発生するようになりました。自我の芽生えです。

ただ、違和感は感じるものの自身としての軸というか信念を持てていないので、じゃあどうすればいいのか分からない状態。結果右往左往する時期が続きます。

ホントに迷走という言葉がぴったりで、何かを変えようとおかしなことを試してみたり、色んな人・モノに流されたりという日々。周りに一番迷惑かけた時期だと思います。すいません。。

こりゃあイカンなと思い、この頃から自分としての信念は何かを真剣に思索し始めます。

それが最終的に「自由・自然・多様性」という個人的な信条に結実するのですが、この原型がほぼ固まるまで要した期間がおよそ2年。この期間は正直キツかったです。暗闇の中でどこに足場があるか分からない状態で、それでも色々と踏んづけてみないといけないような感じで。これまで自分と真正面から向きあうことを避けてきたツケですね。

ただ、そうこうするうちに徐々に自分の信念が見えてきてからは気持ちが本当に楽になりました。日々の活動で何か違和感を感じても、それに対して自分なりの答えというか見解を明確に持てるようになったので。

でもって、その信念に基いて今後自分がどうありたいかを考えた結果、会社を離れようと決めたのが社会人生活9年目。その1年後に会社を離れ今に至ります。

この10年を個人的な観点でまとめると個人の信念の重要性・必要性に気づき、それを見出すことに費やした10年ということになります。その中で様々な経験の機会を与えてくれた在籍2社には本当に感謝しています。特に2社目では極めて多くの職種を経験させてもらったので、その中で色んな人の考え方や、組織の中で働く様々な力学を体感することができました。

それらの体験が今後の僕の財産になることは間違いありません。

というのが社会人生活10年の振り返りです。

自我の有無以外の軸で振り返ってみても面白そうだけど、それはまた気が向いた時に。

では。

 
【2021/02/27 追記】
「思案の2年間」はキツかったですが、そのおかげで地に足をつけられたので考え抜いて本当に良かったです。

これを書いてから8年が経ちますが、引き続き自由と自然を中心に据え(多様性はちょっと格下げ)、のらりくらりと楽しく生きております。

[マレーシア-03]マレーシアの軽井沢?キャメロンハイランド。

さんざん歩いたクアラルンプールを始め、思えば今回の旅はここまでずっと暑いところばかり。

が、次のところは違います。マレーシアの軽井沢と名高い高原地帯のキャメロンハイランド。なんでも英国植民地時代に避暑地として開発されたとか。暑さでくたびれた身体を癒すにはもってこいです。では行ってみましょ〜。

クアラルンプールからキャメロンハイランドまではバスで5時間ほど。マレーシアのバスはどこぞのバスと違って近代的っ。チケットはオンラインで事前予約ができるし、ターミナルも完全に整備されています。

今回はチャイナタウン近くにあるプドゥラヤバスターミナルから出発。が、そこの写真を取り損ねたので代わりにクアラルンプールの中心から南10kmほどにあるTBSバスターミナルの写真を掲載。TBSからもキャメロンハイランド行きは出てましたが、午後便しか無いとのことだったので午前便のあるプドゥラヤを使いました。

TBSバスターミナル。


立派!



朝8:30にターミナルを出発し、昼過ぎにはキャメロンハイランドに到着。


今回泊まったのはキャメロンハイランドの中でも一番大きなタナ・ラタという町。いかにも山を切り開いて作りましたって感じの町です。

でもって気温は確かに涼しい!暑さで疲れた身体が癒されます。

が・・・なんというかここ、排気ガス臭い

というのも、ちょうどスクールホリデーの時期とのことでもの凄い数の車がキャメロンハイランドに集まっていたのです。僕が乗ってたバスも町の手前で渋滞につかまり、ターミナルに入るまで30分ほど待ちました。でもって、町自体が非常に小さいので目抜き通りのべサール通りにそのまま排気ガスがこもってしまっていたのです。

べサール通り。


うーん、ひと度宿を離れると出歩く場所といえば目抜き通りくらいしかないので、そこが排気ガス臭いっていうのはちょっと残念。。

気を取り直して、もうちょっと先のブリンチャンという町までタクシーで行ってみました。こちらも雰囲気は同じような感じでしたが、マーケットが出ていて面白かったです。

ブリンチャンのマーケット。


キャメロンハイランドへは日本人の移住者も増えていると聞いていたこともあり、期待度が高かっただけにちょっと残念な感じでした。車が少ない時期であれば印象もまたちょっと違ったとは思いますが。

とは言え涼しいのは有り難いこと。ゆっくり食事したり、マッサージ受けたりして疲れを癒しました。

明日はキャメロンハイランド郊外のツアーへ繰り出します。いくつか見所があるそうなので、楽しみです!


【2021/02/26 追記】
字面からひしひしと伝わる、排気ガスへの嫌悪。

2012/09/15

[マレーシア-02]満を持してのクアラルンプール散策。

魅惑のマラッカの次に向かうのはクアラルンプール。

実は今回の旅の中で既に二回来ているのですがいずれも通過したのみだったので、ようやくの散策となります。

今回散策したのは街の西側エリア。東側は以前(と言っても10年前ですが)見たことがあるので、今回は西側にしました。

さて一番のお目当てはレイクガーデン。都会と言えども憩いの場は大切です。

例によって移動手段は徒歩。がっつり歩きます。

プドゥラヤ・バスターミナル近くの宿を出発。

遠くにKLタワー。



ムルデカ・スクエアを華麗にスルー。


レイクガーデンかな?


おお、それっぽい!



あらあら



良いじゃないですか〜(^^♪


期待通りの美しくのんびりできる公園でした。結婚写真?の撮影なんかもちらほら。

そのまま国立博物館へ突入。


船っ


大砲っ


絵っ


寝床っ
    

小学生っ!


子供がとっても楽しそうでした。自国の歴史に小さいうちから触れておくのは大切よね。

最後はチャイナタウン。




いやー、歩きました。疲れたっ。

めっちゃ都会です。エリアごとの特色あり、憩いの場もちゃーんとありと凄くしっかり作られた都会って印象です。暮らしやすそうですね。日本からの移住者が多いのも頷けます。

さぁテンポよく進みます。次はマレー半島をさらに北上し、マレーシアの軽井沢ことキャメロンハイランドへ向かいます!


【2021/02/26 追記】
街なかで小さなトンネルを通ったとき、中で上半身ハダカで筋トレしてた兄ちゃんに手招きされたのが怖かった。