2012/02/07

(朝活メモ)「褒める」は組織において極めて重要。

今朝は元気に朝活@五反田に参加してきました。今日のテーマは「とにかく褒める!」。二人一組(初対面)になってまずは自己紹介&近況共有。その後、会話の中から受けた印象をもとに、とにかく相手を褒めちぎるプレゼンをする、というものでした。

いざやってみると物凄く新鮮で楽しかったです。「褒めちぎるプレゼン」という目標があるので、とにかく会話の中では相手の良いところを探そうとします。これが非常に楽しいですし、そんなテンションなので必然会話も明るくポジティブなものになりますね。

でもって、自分が相手を褒めるプレゼンをすると同時に、自分が褒められるプレゼンが繰り広げるられる訳です。これがまたこっ恥ずかしくも、嬉しい。「まじめな好青年」って言われちゃいました。青年です、青年

そんな楽しい朝を提供してくれた本日司会のハシオさん、ありがとうございましたっ!

さて、といった朝を過ごしたので、これをきっかけにちょっと「褒める」について考えてみました。

「褒める」って何でしょうね?とりあえず分解してみましょう。褒めるを分解すると、

・評価軸の設定
・その軸に対する肯定的評価(絶対的 or 相対的)

ですかね。

例えば、
・可愛いね。
⇒容姿という評価軸に対する絶対基準での肯定。

・可愛くなったね。
⇒容姿という評価軸に対する相対基準での肯定。

・この資料、分かりやすい!
⇒分かりやすさという評価軸に対する絶対基準での肯定。

・うん、この資料物凄く分かりやすくなった!
⇒分かりやすさという評価軸に対する相対基準での肯定。

ってな感じです。

まず軸の設定があって、それが「そもそも良い」か「以前と比べて良くなった」のどちらかのケースで「褒める」が発生します。

これを「褒められる」側からみると、褒められるということは

・自分の行為と評価する側の基準軸が揃っている。
・その軸に対して、期待に応えられているか、改善が見られている。

ということです。一言でいえば「認められている」ということです。

となると、ある組織を形成し、その中における価値基準を設定している側にとって、「褒める」という行為は極めて重要です。褒めることがその組織での価値基準に沿った存在価値を認める唯一の行為だからです。

例えば「家庭」という組織。ここにおける価値基準の設定者は「親」です。大なり小なり親が決めた価値基準によって子供は評価されます。子供は親に褒められることで、自分の価値基準が親のそれと揃っていること、そしてそれが肯定的に評価されていることを感じるのです。ひいては「自分がここにいていいんだ。」という喜びと自信を持つでしょう。

「会社」という組織においても同様です。ここでの価値基準の設定者は「経営者(及びその下の管理職)」です。その経営者に褒められることで、社員はその会社(の価値基準)における存在価値を感じるのです。

逆に言えば「褒める」こと無しにその組織における存在価値を与えることはできません。もし褒められること無しに存在価値を感じているメンバーがいたら、それは設定者が決めた価値基準ではなく、メンバーが独自に設定した別の価値基準に対して感じている存在価値です。

ので、価値基準を設定した側にとって、褒めることは義務だと言って良いでしょう。義務です。義務。絶対にやらなくちゃいけません。「褒めない」は、存在価値を認める義務の放棄です。

ちなみに「叱る」は「褒める」ための準備です。「褒められない」のは

・当人の価値基準と組織の価値基準がずれている。
・基準に対する絶対値か増加量が足りない。

のどちらかです。これを指摘して褒められる状態へ導く行為が「叱る」です。ので「叱る」と「褒める」はワンセットです。叱った後に改善が見られた場合は当然義務として褒めないといけません。「叱るけど褒めない」は相手をイタズラに混乱させるだけです。

なんてね。

そんなことを考えるきっかけをくれた、素敵な朝活でした。今日お知り合いになれた皆様、今後ともどうぞよろしくお願いします。

ではでは。

関連エントリー:「褒める」はタイミングが命っ!


【2020/12/24 追記】
一般論をよそおいながらも、まったく隠しきれていない会社への不満w。まあ会社の上層部が龍論を読んでるのは知っていたので、メッセージのつもりで書いたってのもあります。

さておき、褒めるってのは日常のコミュニケーションはもとより、教育のシーンでも最重要項目のひとつ。教師に求められる能力の半分は教える力、もう半分は褒めるに代表されるコミュニケーション能力じゃないかと思います。

あと、当時はFacebookを通じて積極的に朝活なる集いに参加していました。このエントリーにでてきた五反田のやつと、大崎のやつによく行っており、この2つは信頼できる主催者のもと毎回ためになる内容でした。が、中には背後にあやしげな団体が見え隠れするものもあり、「世の中こえー」と思うと同時に、SNSを通じてのコミュニケーションは極めて慎重に、と改めて感じていました。