ストレスとは「生体にひずみの生じた状態」のこと。
ではなぜその「ひずみ」は起こるのか。
それはあるべき姿と現実との間にギャップがあるからです。
そのギャップがひずみ(ストレス)となり、人体であれば心身の異常、組織であれば内部抗争や不祥事などを引き起こすのです。
ということは何か問題が起きている時、そもそものギャップをなくせば問題は解消される(少なくともその可能性がある)ことになります。
ではギャップをなくすにはどうしたらよいか。
最も大切なのはあるべき姿を知ることです。
そもそもギャップがあるべき姿と現実との間で発生しているものなのですから、あるべき姿を知らずしてギャップが解消されることはありません。
ただ、そのあるべき姿を知ることが実に難しい。
一番身近な存在であるはずの自分のことですら、そのあるべき姿が分かっていないこともあります。
僕自身の例をひとつ。
2009〜2010年頃、心的な不調に陥ったことがあります。会社を休むほどではないけれど、自覚症状はありましたし、日々近くで仕事をしていた人であれば十分に気づく程度の変調です。
その原因がストレスであることは明らかでした。が、その解消法がまったく見えない。
ギャップの一端である自分自身のあるべき姿をまったく分かってなかったからです。
あるべき姿がわかっていれば、それと現実の差を把握して対策もとれようものですが、そもそものあるべき姿を分かっていないのですから、適切な対策のしようがありません。当然、あてずっぽうで打つ対策の数々はすべて失敗に終わります。
そうこうするうちに、自分のあるべき姿を理解することが解決に向けた出発点だと気づき、その点について頻繁に考えるようになりました。
二年くらいの後、ようやく個人としてありたい姿にたどり着きます。その結果、現実とのギャップも分かり、とるべきアクションも見え、果たして心的な不調も自然と解消されていきました。
一事が万事、すべてがこのケースに当てはまるとは思いませんが、人や組織が抱えている問題の原因がストレス(ギャップ)にあり、しかも当事者ですらそのギャップの一端(もしくは両端)を理解できていないとうケースは少なからずあると思っています。
逆に言えば、ギャップの両端を探ることが問題解決の糸口になるということ。
問題解決にあたっての一つの視点として持っておいて損はないかな、と思います。
では。
逆に言えば、ギャップの両端を探ることが問題解決の糸口になるということ。
問題解決にあたっての一つの視点として持っておいて損はないかな、と思います。
では。