2019/09/08

環境の本質は「普通とする水準」にあらわれる

家庭、学校、職場など人はさまざまな環境に属して生活しているが、それぞれの環境の本質はその環境が普通とする水準にあらわれる。

知識量、清潔度、時間感覚、金銭感覚、立ち居振る舞いなどについてその環境が普通としている水準、それがその環境の本質である。

朱に交われば赤くなるというように、人は良くも悪くも環境の影響を受ける。よい水準に染まれば人として成長できるが、悪い水準に染まれば価値は低下する。無自覚のうちに自分の価値が下がるのが最も怖いので、できるだけ主体的に自分のいる環境の普通を見定めておく必要がある。

環境に入る前にすべての観点について情報が得られればベストだが、「普通」のことゆえに情報が公開されていないことも多い。そこは積極的に質問して情報を入手するべきであろう。

普通の水準を一通り見極めた結果、全てが納得できる水準なのは稀で、たいていは好ましい点もあれば、そうでない点もある。ここからは優先順位の問題だ。

自分が最も優先する観点において不満があれば、即環境を変えた方がよい。不満のある観点の優先度が高くない場合は「この点においてはこの環境には染まらない」という意思を持ったうえで、一旦はその環境にとどまるのが良いだろう。その環境にとどまりつつ、より満足度の高い環境へのリサーチを並行して行い、見つかった時点で環境を変えるのが得策だ。


自分が環境をつくる立場になった時も「普通」の設定は重要だ。環境が特徴とする点においては普通ラインが高く設定されるので問題は発生しづらいが、そうでない点においては無意識に普通が低いレベルに設定されてしまい、トラブルの原因となることがある。ここは他者の目も取り入れできるだけ多くの観点において、水準を認識しておく必要があろう。

すべての点においてハイレベルな環境がつくれれば最高だが、たいていの場合はリソースがそれを許さない。決して完ぺきである必要はないが、低い水準となっている観点についてはそれをしっかり自覚しておき、できれば公開しておくのがよいだろう。一見マイナスではあるが、トータルで見ればその方が環境の信頼は保たれる。