2019/09/03

竹内まりやの「純愛ラプソディ」は道ならぬ恋に身を寄せる女性への応援歌である

 竹内まりやの「純愛ラプソディ」という曲をご存知だろうか?


リリースは1994年。自身24枚目のシングルにして、ドラマ「出逢った頃の君でいて」の主題歌。

先日たまたまラジオで聞いたこの曲の奥深さに衝撃をうけたので、僕なりの解釈とそこにみる竹内まりやの天才性、ひいてはこの曲に込められた真意を紐解いてみる。

著作権の都合上歌詞を全て載せることができないので、上記動画または別サイトの歌詞(→ Uta-Net 純愛ラプソディ)と照らし合わせながらお読みください。


明るいだけが 取り柄でも ~

この歌で語られる女性は「明るいだけが取り柄」のどこにでもいる平凡なOLだ。「明るいだけが取り柄」というフレーズはこの歌の真意を理解する上で極めて重要なのでぜひ覚えておいて欲しい。

「平凡生きる」でなく「平凡生きる」とするところにまず竹内まりやの天才性をみる。聞き手は無意識に「平凡(な人生)を生きてきた」と脳内補完し、女性の人物像をより立体的に想起する。

「ドラマティックな」はこの曲自体がテレビドラマの主題歌であることを踏まえての言葉遊びであろう。


あなたとの出逢いの日を境にして~

そんな女性に「あなたとの出逢い」という転機が訪れ、いよいよ物語は動きだす。

「出逢いの日を境にする」という表現もまた秀逸だ。世界が一変し、かつその変化が不可逆であることをあますところなく表している。


愛し方何ひとつ知らないままで~

恋愛経験にとぼしい女性が全力で身を寄せた恋、それは道ならぬ恋だった。想いを寄せる彼を「あなた」と呼びながらも、その彼の妻を「他の誰か」としか称せない。つらい恋だ。


タイムカードを押すたびに~

しかし女性は前を向く。愛しい彼は他の誰かのもの「だけど」、それでも自分が感じていた物足りなさが解消されている現実はある。だからこの恋に背を向けてはいけない、進むべきなのだと自分に言い聞かせる。


恋の舞台に上がっても~

ここから曲的には2番。物語は女性の内面へと進んでいく。

女性がおかれている状況と心情を表す比喩が「恋の舞台」。舞台の主役は想いを寄せる彼とその妻であり、女性はしょせん脇役だ。「脇役しかもらえない」という表現にこめられた彼側がもつ絶対的な主導権と女性の絶望的な無力感、「セリフはひとり言」にこめられた女性の孤独感、天才だ。


見えぬ鎖につながれた~

そんなつらい状況でも女性はこの恋路を突き進む。もはや彼とその妻のつながりは彼の自由を奪う「鎖」にしか見えず、「ルール違反」と自覚しながらも彼を奪いたい。その衝動をなんとか理性で抑え込んでいる状態を表す「でしょうか」。天才だ。


遅すぎためぐり逢いを 悔やみながら~

「彼と私は結ばれるべきだった、ただ出逢う順序が間違っていただけ」とあくまでも自分主体で考え、時を恨む女性。それを表現する「遅すぎた」「過去にやきもち」「時を戻す」、天才だ。


片づいてゆく仲間達に ため息~

「片付いてゆく仲間」という表現のすさまじさよ。主役として人生を歩み、自分より先に結婚して幸せになっていく友達は基本的に「仲間」。しかしそんな仲間に劣等感を持ち卑屈になる自分もいる。ゆえにその扱いはモノのごとく「片付く」。天才だ。

「ため息」の前でためる一拍も最高。まさにため息が聞こえてくるようだ。


でもいいの 人をこんなに好きになり~

それでもそれでも女性はめげない。「でもいいの」と気持ちを切り替え、これで良いのだとむりやり自分に言い聞かせる。

ここでの「でもいいの」と1番の「ものだけど」はメロディ的に同じ位置にある。1番では「(他の誰かの)ものだけど」と前を向き、2番でも「でもいいの」とやはり気持ちを切り替える。同じ位置に同じ展開を重ねることで、女性の強い意思がいっそう際立つ。天才だ。


形では愛の深さは測れない~

ここでドラマは急展開を迎える。「さよなら」の意味するところは、後に続く「二度と会えない」と併せて考えると死別であろう。想いを寄せていた彼は突然帰らぬ人となってしまう。

彼の死により女性には以前の日常が戻ってくるのだろうか。否。出逢いの日を境にして世界はすでに不可逆に変わってしまっているのだ。

ではどうするか。彼を想い続けるしかない。結婚という「形」をも上回る愛の深さをもってすれば、死別ですら絆を永遠へと変えるファクターになりうるのだ。

女性はそう信じたい。そう信じるしかない。でも、これまで幾度となく前を向いてきた女性であっても今度ばかりはすぐには顔をあげられない。それゆえに「さよならも永遠の絆に変わる」と言い切ることができず「こともある」とつけるしかないのだ。つらい。

ここに続く空白の1小節。長い長い女性の葛藤の時間を表したものであろう。


二度と会えないふたりでも~

時が経ち、ついに女性は心に整理をつける。二度と会えない現実を受け入れ、大好きな微笑みを胸の中で生かし続ける、あなたへの想いを歌に込めながら。これが女性の出した結論だ。


以上が僕によるこの曲の解釈である。まさに1本のドラマに匹敵するストーリーが巧みな表現力で1曲に詰め込まれている。天才だ。


さて最後にこの曲に込められた竹内まりやの真意を探ってみたい。

道ならぬ恋のつらさ、さらには愛する人との死別を乗り越えることができたこの女性は果たして強い人であったのだろうか。いや違う。彼女は「明るいだけが取り柄」のごく普通の女性だ。

すなわちこの曲に込められたメッセージは「さした強さを持たぬ普通の人であっても、明るささえ忘れなければ、どんなにつらい恋や別れもいつかは乗り越えるられる。だから前を向いてがんばっていこう!」である。そう捉えればこの曲の全体的に明るい曲調にも納得がいく。

純愛ラプソディは、天才竹内まりやから世の女性へ贈られた応援歌なのだ。