2002年 チェスのグランドマスターが羽生さんにインタビュー
その中で羽生さんが大変興味深い発言をされていました。
グランド・マスターチェスはスポーツで、将棋は日本の伝統文化だ、と。
「チェスと将棋はスポーツだと思いますか?」
羽生
「チェスは確かにスポーツです。
一方将棋は、茶道や生け花のように日本の伝統文化の一つであるためすこし違います。
江戸時代には3つの家でのみ将棋が指されゲームのマスターは“名人”と呼ばれていました。
はじめこの称号は世襲でしたが、実力制になってから1世紀が経っています。」
そうなんですよね。純粋に勝ち負けを競うスポーツとは異なり、日本古来の勝負事には勝敗以外にも重視するものがたくさんあります。それこそが日本古来の勝負事をスポーツではなく伝統文化たらしめているのです。
この伝統文化としたの側面を無視して、両者をスポーツとしてひと括りにしてしまうと、様々な面で不都合が出てきます。
最たる例は大相撲。
大相撲が最も重視するのは国技としての格式です。となれば、その格式が守られるよう取組み結果に調整(すなわち八百長)が行われるのは伝統文化の維持としては当然のことです。また、日本人の横綱・大関を作りたがるのも日本の国技としては無理からぬ姿勢です。
が、そんな伝統文化としての側面を無視して「相撲は(万人に平等な)スポーツだ」と言い張ると色々な面で問題が出てきます。かの八百長問題もそうですし、横綱昇進に十分な成績を残しながらも横綱になれなかった小錦、常に品格を問われ続けた朝青龍など、すべて相撲をスポーツと混同したがゆえに起きた問題です。
柔道もそう。
日本柔道の弱体化が叫ばれて久しいですが、日本柔道が弱くなったというよりは、スポーツとしての柔道と伝統文化としての柔道が完全に別物になってきたということだと思います。
日本国内の大会ならいざしらず、国際大会では当然スポーツとしての柔道が行われます。そこへ伝統文化としての柔道で挑む日本柔道が苦戦するのはある意味当然です。半ば別の競技なのですから。
国際化が進む昨今、日本古来の競技が海外へ進出したり、外国人に対しての門戸を開くことは避けられない流れだと思います。
しかし、だからこそそれがスポーツなのか伝統文化なのかをしっかりと見極めたうえで対応を決めていくことが、不要ないざこざを避けるためには重要なことではないかと思います。場合によってはそれぞれ別の競技にしてもよいのでは、くらいに思っています。
いらぬ問題が発生することなく、多くの人が楽しめるのが何よりですから。
では。