その理由は自分でもうすうす分かっていたのですが、おもいっきり言語化されていたのが以下の安田佳生さんのツイート。
あまちゃんを初めて見ました。ダイジェスト版で。見なければ良かった。私はストーリーが知りたかったのではなく感動したかったのです。皆の感動を共有したかった。でも無理でした。愚かにも効率を考えてしまったから。早送りのドラマは早送りの人生のように意味がない。非効率だけが感動を生むのです。
— 安田佳生 (@yasuda_yoshio) October 15, 2013
ああ、まさに。
基本的に僕は効率最優先。やることが決まったら、次にいかにそれを最低限の労力で実現させるかを考え始めます。
安田さんの言うとおり非効率だけが感動を生むのであれば、効率再優先の僕に感動が訪れるべくもありません。
そんな僕ですが、決して感動を軽視している訳ではなく。むしろ、人がモチベートされる上で感動は最重要の要素だと思っています。
感動できるゴールがあってこそ、人は意欲と情熱を持ってそれに取り組むことができるのです。
僕が当面の目標としているのが自由度の最大化。これ自体はしっくりきてて問題ないのだけれど、これに加えてその延長線上に何か感動できるゴールを設定しないといけないなーと思ってます。非効率とも思えるほどに時間をつぎこめるゴールを。そうでないとイマイチ気分が乗り切らないので。
じゃあ、感動できるゴールとは何か。
現状未定。
いくつがぼんやりと思うものはあるけれど、自分がそれに感動できるかの確信はまだまだ持てず。
早く設定したい気持ちもあるけれど、慌ててしっくりこないゴールを設定しても意味がないので、数少ない感動経験を思い出しつつ、のんびりと考えていきたいと思います。
では。