2013/01/25

シンプルにするために考える。

僕は考えることがかなり多いタイプだと思います。考え込むと言った方が良いくらいに。

じゃあなんで考えるかというと、面倒くさがり屋だから。

面倒くさがりなので、物事がゴチャゴチャしててそこに要らぬ労力を取られたり、後から問題が起きたりするのがとても嫌なんです。

本来、世の中の原理原則や本質って非常にシンプルなものだと思います。ただ実際にはそこへ色んな要素や状況が絡み合って本質が覆い隠され、非常に複雑に見える。それを解きほぐしてシンプルな本質を見抜いておくことが考えることだと思ってます。そこまでやっておけば表面的なゴチャゴチャに惑わされることなく適切に判断することができ、結果後から発生する労力も最小化することができます。

基本的にこのスタンスは気に入っていますが、欠点もありまして。

何かを決めるのに時間がかかるんです。

できる限り本質を見抜き本質に沿った決定をしたいと思うので、情報集めたり分析したりでとにかく決めるのに時間がかかる。正直何も考えずにとりあえず決めちゃって、もし何か問題が発生したら後から対処するとした方がトータルでかかる労力少なかったんじゃないかと思うこともしばしばです。

が、それでも考えた結果たどり着いた本質は色んなシーンへ転用できるので、将来削減できる労力のことを考えればやはりできる限り考えておきたいと思います。

もちろんたどり着いた(と思っていた)本質が実は全くの見当違いで、再考を余儀なくされることも多々あります。その時は自らの甘さを顧みつつ、また思考をやり直します。

あと、そもそも本質にたどり着くのに必要な情報が欠けていて、思考が行き詰まることもよくあります。しかも大抵それに気づかず更に考え続け時間を浪費する始末。

実際にやってみて初めて手に入る情報もあるので、事前の思考にはどこかで見切りをつけ、仮説ベースでまずはとにかくやってみる姿勢を身につけるのが今後の課題だなーと自分では思ってます。

では。

・・・とここまで書いて、じゃあ考えること自体は面倒くさくないのか?とセルフ突っ込み。

うーん、面倒くさくない。ということは結局は考えることそのものが好きなんだと思います。そこへたまたま本質の再利用が効くという効能が付いてきているという方が正しいですね。

となればそれ踏まえて上の文章書きなおした方が良いんだろうけど、面倒くさいので思考の履歴を残すためにもそのままで。

では。


【2021/04/17 追記】
前提として僕は「先のことを重視する」タイプです。5年先、10年先まで考えてその間トータルでみて最も合理的というか、ムダがない形に整えておきたいと考えます。

その僕から見ると、少しの手間を惜しんで問題解決を先送りにした結果、何度も同じトラブルに見舞われてる人は非合理的に見えますが、おそらくその人はその人なりに合理的に生きています。つまりその人は「目先のことを重視する」度合いが極めて強く、先々のトラブルを回避しておくより、今自分がやっていることを進めるのが常に優先されるのでしょう。

それはそれで一つの生き方だと思いますが、その場合、先々に必然的に起きるトラブルは自らの選択の結果として甘んじて受け入れるべきかと。悔やんだり、嘆いたり、周りにあたり散らしたりせずに。