2012/03/17

理屈を捨てて自分の本当の価値観を見つけよう!

自分のことを知る、って案外難しいものです。「自分はAだ」と思っていたものが「実はBだった」なんてことがしばしばあります。

痛感したのが去年の夏に部屋探しをした時。当初は「部屋にはあんまりこだわり無いからあっさり決まるだろ」と高をくくってました。

が、蓋を開けてみると想像以上に難航。なかなか「よしこの部屋にしよう!」と思える部屋に出会えなかったんです。自分自身でどの軸を優先させるかが分かっていなかったんです。

いや、分かってるつもりではいたんです。家賃と交通の便を優先しようと思ってました。で、その軸で色々物件見たのですがどうにもしっくり来ない。決まらない。結構途方に暮れてました。

でもヒントはあったんです。一度錦糸町の物件見に行ったときになんかものすごーく違和感を感じまして。家賃も交通の便も結構良いのになんかイヤだったんです。漂ってる空気が合わないというかなんというか。

で、家賃とか交通の便とかそういう合理的な理由じゃなくって、地の気というか街の雰囲気っていうのが重要なんじゃないかと思い始め、ふらっと立ち寄った根津の街。ビビっときましたね。ここだと。

結局僕が最もこだわっていたのは地の気だったんです。歴史に根ざす根津の地の気が僕が最も望んでいたものだったんです。それが分かった後は正にトントン拍子。残りの軸をちゃちゃちゃーっと並べ、それに合う物件を2,3見せてもらってサクっと決まりました。

という感じで、部屋探しを通じて自分のことすら自分でもよく分かってないんだなと思い知った訳です。

じゃあ自分を知るにはどうしたら良いか。多分理屈を捨てることだと思ってます。理屈は自分の既存の価値観の中で組み立てられるものなので、その中に留まっていては自分がまだ気づいて無い価値観に出会うことは難しいです。なので一旦理屈を離れて感性で動くことが、本当の自分を知るきっかけになるんじゃないかと思います。

理屈屋が、理屈を捨てる理屈を見付けたというお話でした。

では。


【2021/01/01 追記】
理屈に限界があるのは確かなのでそれにこだわり過ぎてはいけない。が、理屈の代替が感性でよいのか?

感性などという曖昧模糊としたものに、理屈の代役を任せてよいものなのか?

という点に明確な解が出せないので、「なんでもとりあえずやってみる」が正解な気がする。

という理屈。

2021年明けましておめでとうございます。