2011/11/23

僕が自由を重視する理由

前回のエントリーでは、僕の考える自由の定義とその生成メカニズムをまとめました。今回はなぜ僕がその自由を重視するのかについて触れたいと思います。

結論から言うと僕が自由を重視する理由は
・生き延びるため
・楽しむため
・周りに優しくあるため
の三つです。

まず最初の「生き延びるため」ですが、これは将棋の例が分かりやすいと思います。将棋は自分の王将が相手に取られる以外の選択肢が無くなるとゲーム終了となりますが、これは言い換えると生き延びる為の選択肢が無い状態になるとそこで終わりということです。まぁこれは極端な例ではありますが、要は人生を継続していくには最低限の自由度が必要だと言うことです。

次の「楽しむため」ですが、これは一つ目の「生き延びるため」の延長にある理由です。生き延びるために生きるだけではやっぱりやるせないです。やりたいことを思い切りやって楽しみたいのです。それには制約が少ない状態-自由-は不可欠だと思います。

最後の理由が「周りに優しくするため」です。僕は極力一緒にいてくれる周りの人に優しくありたいと思っています。(もちろん現状不十分なのは自覚してます。ごめんなさい。ごめんなさい。)

で、その優しさとは何かと言うと「強さによって生まれた余裕を、(自分ではなく)周りに対して使ったもの」だと思っています。ので、優しくあるにはある程度自由である(強くある)ことが必要なのです。経済的に強い孫さんは寄付という形で被災地の方々に優しくできるし、ITに強い人は情報インフラを作ることで、被災地を支援することができるのです。

そんな訳で、できる限り周囲に優しくありたいと思う僕は、自由を(その源となる強さを)重視するのであります。ただ、それゆえに自分の現状の非力さをうらめしく思うこともしばしばあり、色々強くなんなきゃなと思うことしきりな次第であります。はぁ。


【2020/12/14 追記】
自意識過剰な文体がキモい。あと自由を重視する理由が、なんか意識高いな。今、自由を求める理由を挙げるなら「やりたくないことをしたくないから」の一択。