2012/07/24

余裕が全て

すっかり旅行ブログの様相を呈している昨今ですが、これまで通りに僕が考えたことも発信していきます。

今回は「余裕が全て」という話。

世の中に強さを求めている人は数多くいます。身体的な強さはもちろんですが、資本主義経済の中で経済的な強さを求めている個人、法人は数多く存在します。

もちろんそれは悪いことではないのですが、単に強さを求めているだけでは意味が無いように思います。もっと重要なのはその強さを基に余裕を作ることです。余裕があればなんでもできます。余裕を自分に割り当てて好きなこと、新しいことをやるもよし。あるいはその余裕を周りの人や大切な人に向けて、幸せにしてあげるもよしです。

強さと余裕は密接に関連する概念ではありますがイコールではありません。

強さ(=最大許容量)から最低必要量を除いたものが余裕になります。収入から必要コストを除いたものが金銭的な余裕になりますし、持てる荷物の総量から自分が持たないといけない荷物の量を除いたものが、持ってあげられる荷物の量になります。

ゆえに余裕を生むには、強さだけでなく様々な最低必要量も考慮する必要があります。

強いけれど同時に最低必要量が大きい人は、結局余裕がなくなります。余裕がなければ何もできません。自分に対しても、周りに対しても。

一方でさほど強くはなくても、最低必要量が十分に小さい人は余裕を持つことができます。

余裕を増やすことを目的とするならば、強くなると同時に最低必要量を極力小さく留めることも意識する必要があります。

今僕はふらふらと東南アジアを旅行していますが、これは自分にとっての最低必要量を見極める旅でもあります。部屋も引き払い、家財道具もほとんど捨ててきたのでモノの所有量という点では人生最小値です。そんな中で更に物価の低い地域で生活すると、自分にとっての最低必要量がどれくらいなのかが見えるのではないかと思っています。そこを見極めておくことは今後の人生を余裕という観点で見ていくにあたり非常に重要だと思っています。

そこで見えた最低必要量+自分(と家族)が持ちたい余裕=自分が持つべき強さ だと思います。それが分かればそれ以上の強さはいたずらに求めず、余裕を十分に満喫する生活を送りたいと思っています。

実際のとこ、最低必要量と欲しい余裕が思いの外大きく、相当頑張って強くならないといけなくなる気はしてますが。そん時はそん時で頑張って強くなろうと思います。

いずれにせよ強くなることだけが目的で、余裕のない暮らしにはならないようにしたいと思います。

では。


【2021/01/23 追記】
言うなれば可処分余裕という考え方。いいと思う。

本文中の
最低必要量と欲しい余裕が思いの外大きく、相当頑張って強くならないといけなくなる気はしてます
という見立ては大外れ。最低必要量も、欲しい余裕も全く大きくならなかったので、一切がんばることなく気ままにのほほんと暮らしています。