2012/03/27

山奥の桜は誰に見られていなくても美しく咲く。~朝礼アーカイブ②~

前回のエントリーで会社の朝礼で話したネタに触れました。せっかくなので、過去の朝礼で話したネタも記憶にある限り書き起こしてみようと思います。

今回書き起こすのは「山奥の桜は誰に見られていなくても美しく咲く」という話。確かまだ(以前のビルの)7Fワンフロアで朝礼やってた頃に話したものです。これ以前の朝礼では「今日は何の日」などのホントにどうでもいい小ネタしか話してなかったのですが、せっかくなので何かメッセージ性のある話をしてみようと思い立ち、この回から色々ネタを思案し始めました。

さてまずはネタ決め。当時は社内にゴミが落ちたままになっていたり、休憩室が散らかっていたりとやや社内モラルの乱れが見え始めていた頃だったので、何かその改善につながるメッセージを伝えようと考えました。

ただし「ゴミはちゃんと拾いましょう」とか「休憩室はきちんと片付けましょう」などと言っても全く効果は無いだろうなと思ってました。そんなの皆分かりきっていることですし、そもそも価値観の押し付けは反発しか生まないからです。

で、考えた結果あくまで自分ごととして僕が好きな言葉を紹介しようと思いました。そこで選んだのが「山奥の桜は誰に見られていなくても美しく咲く」という言葉です。

これは武者小路実篤の『あれを見よ 深山に桜咲きにけり 真心つくせ人知らずとも』という句を、僕が勝手に意訳したものです。

この言葉に僕なりの解釈「山奥の桜は誰かに見せるために美しく咲いているのではない。自分が美しくありたいから美しく咲いているのだ。その人の本質は、人が見ていないところでどのように振舞うかに表れるものだ」を付け加えて紹介しました。

まぁ実際どれだけ効果があったかは分からないですが、個人的に一つの型が作れたかなと満足のいく内容でした。ちょいちょい好評の声ももらって、とても嬉しかったのも覚えてます。

今でもこの言葉は良い言葉だなと思っています。疲れたり、余裕がなかったりするとどうしても影では荒れてしまいがちですが、そんな時はあらためてこの言葉を思い出し、凛とした姿勢で生きていきたいと思います。

では。


【2021/01/05 追記】
前回の実験結果をうけて、調子にのって過去の朝礼にまでさかのぼり始めるの巻。

この回は、意図・内容ともにうまくできたと思います。が、さすがに当日の限られた時間の中で背景などをすべて語ることはできなかったので、時間は経ってしまいましたが、ブログを使ってうまく補足できてよかったです。