2019/09/15

真下の線路はいつもまっすぐでカーブに気づけない

子供のころの話。

ある時、電車の先頭車両のさらに先頭に乗る機会がありました。

初めての経験だったので楽しくなって、とりあえず下を向き眼下に流れていく線路をずっと眺めていました。

しばらく眺めた後にふと疑問がうかびました。「おかしい。この線路は常にまっすぐだ。これでは電車はまっすぐにしか進めないのではないか」

そう思って顔を上げて遠くの線路をみたところ、線路はめっちゃ曲がっていました。

ああ。近くばっかり見てたらわからないこともあるんだな。遠くを見て初めて分かることもあるんだな。

そう学んだ幼き日の瞬間でした。


2019/09/14

心技体より体技心

スポーツに必要な要素としてよく使われるのが心技体。ですが、伝説のプロゴルファー青木功は石川遼へのアドバイスとして「心技体ではなく体技心」と語ったそうです。

僕の敬愛する落合博満も同様のことを語っていたらしい。(出典は明らかではないですが)

僕も同意見でスポーツに限らず何事においても必要なのは体・技・心の順番だと思います。

まずなにより重要なのは健全な体。体に不調がある状態で無理に何かをやろうとしても極めて効率が悪い。なので、怪我や病気があったらまずはしっかりと治す。そして不調が解消されたら日々ちゃんと栄養と睡眠をとり、ストレッチなども加えて良好な状態の維持に努める。その上で余裕があれば、ちょっとずつでも鍛えてより強い体にしていければベストです。

体が整ったら次に磨くべきは技。ここでいう技はスポーツでいう技だけでなく、知識・技術全般を指すととらえています。つまり勉強や練習ですね。ここでの注意はやりすぎないこと。やりすぎによって体に不調をおこしてしまっては本末転倒です。一時的に無理をしたとろでトータルで見れば技の習得ペースは落ちてしまいますので、体が耐えられる範囲の量や強度でやりましょう。限られたリソースの中で最大の効果を上げるにはどうすればよいか、一番のアタマの使いどころです。

ここまでやって相当の技が身につけば心(落ち着いた心)はある程度は自然と備わってきます。もしまだ不安があればそれは次のステップへの重要な指針。その不安を解消すべく、再び技に戻って新たな技や知識の習得に励みましょう。

つまり体技心というのは、万全の体調という土台の上で、技と心を相互に向上させていくサイクルを回すということだと理解しています。


2019/09/13

僕のブログは抽象論が多い

自覚しているのですが、僕のブログは抽象論が多いです。

なんでかっていうと具体論は書くのがめんどうだから。抽象論であれば言いたいことのエッセンスのみをフワっと書けばよいのでとても楽なんですが、具体論を書こうとすると正確性を意識しなければいけないし、図表や写真が必要になることも多いので時間がかかるんですよね。

具体論の方が読み手にとってはイメージが湧きやすくて役に立つのは重々理解しているのですが、手間のハードルはいかんともし難く。

なのでお手軽に書ける抽象論が多いのです。

書くのが好きと言っておきながらめんどくさいのは嫌がる、ってレベルの書き手ですのでどうぞよろしく。


2019/09/12

初見のお店では全ての棚を眺めてまわる

僕の習性として、初めて入ったお店では基本的にすべての棚を眺めてまわるというのがあります。

あたらしく移り住んだ街の100円ショップ、ホームセンター、本屋などはまずはすべての棚をじっくり眺めてまわり、品揃えを把握します。

これは
・できる限りベストに近い買い物をしたい
・アイデアの選択肢を多く持っておきたい
という理由からです。

できる限りベストに近い買い物をしたい

あるモノを買った数日後に、より目的にマッチするモノを同じ店で見つけるとものすごい敗北感を感じるので、まずは商品を一通り把握してから買うようにしています。

個人的にはおなじ目的のモノは一箇所にまとめて売っていて欲しいのですが、そうはなっていないケースも多々あるので自衛策としてのアクションです。

アイデアの選択肢を多く持っておきたい

日常生活でなにか課題が発生した場合にモノを買って解決することが多々あります。その際には、解決に役立つモノをいかに豊富に知っているかが重要です。そのためのアイデアを多く抱えておくために、近所のお店の品揃えはできる限り把握しておくようにしています。

Amazonを筆頭とする通販を使えばなんでも手に入るのですが、沖縄という立地ゆえに通販だと間に合わないことも多いので、近所のお店の品揃えの把握を重視しています。

ただし時間がかかる

この習性のおかげでそれなりに効果的な買い物ができているのですが、難点は初回訪問時にめちゃくちゃ時間がかかることです。大きめの100円ショップとかホームセンターなんかだと軽く2~3時間はウロウロしてます。特に100円ショップでは「普通の使い方以外にも応用すればこんな風にも使えそうだなー」とか考えながら見てまわっているので、尋常じゃなく時間かかります。

僕自身はそれが楽しいのでよいのですが、これに付き合うのは一般的には苦痛を伴うと思いますので放置推奨でよろしくどうぞ。


2019/09/11

放置すれば欠点、自覚すれば特徴

人間だれしも欠点はあるものなのでそれを気に病む必要は全くないのですが、自分の欠点を自覚しておく必要はあります。

欠点を自覚していれば少なくともそれに起因するトラブルを防ぐアクションが取れますし、あわよくば欠点を逆手にとって長所として活かす道もでてきます。

一方で欠点を自覚していなければそれは永遠に欠点のまま。しばしばトラブルを引き起こし、一生その欠点に悩み苦しむ。

なので欠点を自覚できるかどうかに、すべてかかっています。

自分の欠点を素直に認めることに抵抗のある人もいるかもしれないけれど、欠点を自覚しトラブルを回避できるようになればそれはもはや欠点ではなく特徴。ちゃっちゃと認めて、さっさとトラブルを回避できる仕組みをつくって、あとは特徴としてうまく活かしていきましょう。


2019/09/10

プロ野球で連勝したのに順位が下がることは起こりうるか

さて問題です。プロ野球であるチームが連勝したのに順位が下がることは起こりうるでしょうか?

答えは起こりうるです。

このケースが発生するのは5割付近に2チームが並んでいて、試合数に差があるときです。

例えば

Aチーム: 20勝21敗(勝率 0.4878)
Bチーム: 19勝20敗(勝率 0.4872)

だったとします。ここから両チームとも連勝したとすると、

Bチーム: 21勝20敗(勝率 0.5122)
Aチーム: 22勝21敗(勝率 0.5116)

となり順位が逆転します。試合数が少ないチームの方が、5割をまたいだときに勝率の振れ幅が大きくなるので順位が変動する、というからくりです。

実は1度だけこのケースが発生したのを見たことがあります。中日星野監督の「連勝したのになんで順位が下がんねん!!」というコメントをニュースステーションで朝岡キャスターが紹介していたので、おそらく80年代後半の出来事ですね。


2019/09/09

人の本質は「普通とする水準」にあらわれる

昨日のエントリーで環境の本質は「普通とする水準」にあらわれるという話を書きましたが、これは人に対しても全く同じことが言えます。すなわち人の本質は「普通とする水準」にあらわれます

知識量、清潔度、時間感覚、金銭感覚、立ち居振る舞いなどさまざまな観点についてその人が普通としている水準、それがその人の本質です。

これらを一時的に意識的に改ざんすることは可能です。他者に良く見られたいときに取りつくろうのは一般的なことでしょう。しかしながら、一時的にな改ざんでなく普通の水準を自体を変えるには努力を要します。ものによっては大人になってからの改善は不可能です。それゆえにこれらの普通の水準がその人の本質なのです。

どの観点を重視するかは人によって異なります。人間関係の面でみれば、重視する観点の水準が近いほどストレスなく接することができ、大きく乖離していると強いストレスを感じるでしょう。

すべてが完ぺきな人間はいないので「普通の水準」にばらつきがあるのは当然ですが、自分の持つ水準については自覚しておくべきです。「普通」であるがゆえに無自覚に過ごしてしまうことも多いですが、往々にしてこの無自覚な普通の水準の乖離が他者とのトラブルを生みます。セクハラ、パワハラ、マタハラ、スメハラなどなど世の中のハラスメントはすべて無自覚な普通の水準の乖離によって引き起こされているものです。自分にとっての普通の水準を後から変えるのは難しいですが、自分の水準が世間のそれと乖離していることを自覚していれば、トラブルを未然に防ぐ可能性も出てくるでしょう。

普通の基準の設定には先天的なものと後天的なものがあります。後天的なものの多くは幼少期に形成されるので、その期間の環境は極めて重要です。昨日のエントリーでも書きましたが環境を構築する立場にある際に、自らが重視しない観点において無自覚に普通の水準が低く設定されてしまっていることがあるので、ときおり他者の視点からもチェックしてもらうのがよいでしょう。


2019/09/08

環境の本質は「普通とする水準」にあらわれる

家庭、学校、職場など人はさまざまな環境に属して生活しているが、それぞれの環境の本質はその環境が普通とする水準にあらわれる。

知識量、清潔度、時間感覚、金銭感覚、立ち居振る舞いなどについてその環境が普通としている水準、それがその環境の本質である。

朱に交われば赤くなるというように、人は良くも悪くも環境の影響を受ける。よい水準に染まれば人として成長できるが、悪い水準に染まれば価値は低下する。無自覚のうちに自分の価値が下がるのが最も怖いので、できるだけ主体的に自分のいる環境の普通を見定めておく必要がある。

環境に入る前にすべての観点について情報が得られればベストだが、「普通」のことゆえに情報が公開されていないことも多い。そこは積極的に質問して情報を入手するべきであろう。

普通の水準を一通り見極めた結果、全てが納得できる水準なのは稀で、たいていは好ましい点もあれば、そうでない点もある。ここからは優先順位の問題だ。

自分が最も優先する観点において不満があれば、即環境を変えた方がよい。不満のある観点の優先度が高くない場合は「この点においてはこの環境には染まらない」という意思を持ったうえで、一旦はその環境にとどまるのが良いだろう。その環境にとどまりつつ、より満足度の高い環境へのリサーチを並行して行い、見つかった時点で環境を変えるのが得策だ。


自分が環境をつくる立場になった時も「普通」の設定は重要だ。環境が特徴とする点においては普通ラインが高く設定されるので問題は発生しづらいが、そうでない点においては無意識に普通が低いレベルに設定されてしまい、トラブルの原因となることがある。ここは他者の目も取り入れできるだけ多くの観点において、水準を認識しておく必要があろう。

すべての点においてハイレベルな環境がつくれれば最高だが、たいていの場合はリソースがそれを許さない。決して完ぺきである必要はないが、低い水準となっている観点についてはそれをしっかり自覚しておき、できれば公開しておくのがよいだろう。一見マイナスではあるが、トータルで見ればその方が環境の信頼は保たれる。


2019/09/07

既知のノウハウをあえて自分のブログに書く意味

僕の書く文章はたいていポエムかノウハウのどちらかです。

ポエムは100%僕の創作なのでともかくとして、ノウハウは僕が先駆者というものはほとんどなく、検索すれば似た内容が出てくるものがほとんどです。

じゃあそんなインターネット的には既知のノウハウを改めて自分のブログにしたためる意味はどこにあるのか。

書くこと自体が楽しいからで理由としては十分ですが、それ以外に想定される価値としては、

1. 各ノウハウのコンタクトポイントが拡大し、より広く伝わりやすくなる
2. 僕はこういうことに理解がある人間ですよという自己紹介になる

あたりかと思います。2の理由が大きいかな。自己紹介というより、「俺はこんな高度なテクニック使って生産性の高い知的生活送ってるんだぜベイビー」という自己承認欲求に近い気もする。

書くこと自体を楽しみつつ、自己承認欲求も満たされ、多少は世の中の役にも立つ。ブログ書きとはずいぶんお得な活動ですな。

ポエムでした。


2019/09/06

IT革命とは情報が実体を失い質量から開放されたこと

どの本だったか忘れたが、IT革命とは情報が実体を失い質量から開放されたことだと書いてあった。まさに情報の本質であり、これを理解できているか否かで、人のふるまいは大きく異なってくる。

古来より情報は常に質量とともにあった。石に刻まれた絵や文字にはじまり、木簡、そして紙へと時代は変われど、情報は常に質量を持つ何かに刻まれてきた。

世にデジタル化の波が押し寄せ情報はその姿を変える。それまで実体として存在していた絵や文字は0と1の数字に形を変え、CD、DVD、ハードディスクなどに保存されるようになった。

デジタル化はIT革命に不可欠な過程ではあるが完成形ではない。たとえデジタル化により情報が大量に保存できるようになろうとも、CDやDVDなどの実体のあるものに保存されている限りは大枠の意味では書類や本と変わらない。その情報はまだ質量にしばられているのである。

IT革命が完成を見るのは情報がインターネット上に保存されるようになってからだ。この時点で情報は完全に質量から解き放たれ自由となった。(厳密に言えば地球上のどこかに実体として存在しているサーバーに保存されているのだが、ユーザー観点でそれを見ることも意識することもない)

この質量から解き放たれた姿こそが情報の本来の姿である。そもそも情報とは実体を持たず目にも耳にも知覚されないものであり、それゆえに移動も拡散も複製も自由なものなのだ。その実体のない情報を実世界に召喚し、見たり聞いたりできるようにするのがスマホやパソコンであり、逆に実体から情報のみを抽出するのがデジカメやスキャナーなのである。

以上の情報の本質を理解できている者は、インターネットを起点として物事を考える。情報の本来の住処はインターネットであり、普段はそこに放牧しておき、必要な時、必要な場所に召喚すればよい。

一方、本質を理解できていない者は、情報の住処を何らかの実体(書類や本などの紙や、パソコンのハードディスクなど)に求める。彼らにとって情報とは実体として知覚できるべきものであり、質量を失うなど考えもしない。

この両者の世界観はことごとく対立する。情報のあるべき場所が決定的に異なるからだ。その結果、両者が混在する組織においては紙へ印刷をする/しない、情報をインターネットに上げる/上げないなど、いさかいが絶えることはない。これは情報の本質を理解する者としない者の宗教対立なのである。


2019/09/05

ルーチンタスクはChromeブックマークのフォルダにまとめて一気に開く

僕はルーチンタスクを「朝」「夕方」「週イチ」「月イチ」に分けて管理しています。朝・夕はニュースサイトやメールなどのチェック、週イチはお金やWebサイトの管理、月イチはパソコンやスマホのメンテナンス系が多いです。

それらのタスクはブラウザ上で完結することが多いので、Chromeのブックマークに各タスクごとのフォルダをつくり、実行のタイミングでフォルダ内のタスクを一気に開く、という方法を採っています。

すなわち、朝のルーチンであれば「Morning」というフォルダをChromeのブックマークに作成しその中に対象のページを入れておく。そして実行する際には「option+command+B」でブックマーク管理ページを開き、「Morning」フォルダの「︙」から「すべてを開く」を選択し、フォルダ内のページを一気に開くという流れです。


僕は画面を広く使いたいのでブックマークバーを表示させていないのですが、バーが表示されているのであれば対象フォルダを「command+右クリック」すると同様にすべて開くことができます。


こうしておけばタスクを開く手間は最小ですし、開き忘れるもないのでとても便利です。


2019/09/04

モノを探す時間が大嫌い

ムダ嫌いの僕がもっとも敗北感を感じるのが、自分のモノが見当たらずに探さなくてはいけなくなった時。

捜索の時間自体がムダであるというのもあるけれど、そもそもサクッと使えるように適切な配置・導線を組んでいたはずなのにそれが見当たらないのは完全なる仕組みの不備!それが許せない。

というわけで何かを捜索するはめになった際は、かならず次回へむけた改善策がセットで行われます。

なぜ意図した場所にそれがなかったのか、どう配置すれば見つけやすいか、出し入れの導線はスムーズかなどを考慮して、次回はすぐに使えるよう仕組みを変更しておきます。

ひとつひとつはホントーに細かいことなんですけど、それらが積もり積もってスムーズな生活につながっていくので、一切手を抜かずにやっております。


2019/09/03


2019/09/02

高いモノを持ちたくない

僕は基本的に高価なモノを買わないです。

根っからの貧乏性というのもあるけれど、高価なモノを買うとそれの管理に労力がかかり続けるのがすごくイヤ。

2~3万円のスマホであれば、不注意で壊れたり無くしたりしても「まぁいいや」で済ませられますが、10万円のiPhoneだったりするとさすがにおいそれとは諦められない。となると、決して壊さぬよう無くさぬよう日頃から注意を払う必要がでてきて負担になる、それがイヤ。

もし高価な腕時計を買おうものなら、いつ傷ついたりしないか気が気じゃなくなること請け合い。家に置いてたらそれはそれで家が気になるだろうし。

そんなわけで、高価なモノは極力買わないし持たない主義です。ていうか向いてない。

とはいえ、お金を払えば得られる便利さをみすみす放棄するのももったいない話だと思うので、自分にとって必要な機能を手に入れるためのお金は惜しみません。

結果として、購入するのは必要な機能を満たしている中で最安値のものというのがマイルールです。

その甲斐あってそれなりに平穏な日々を送っているのですが、このスタイルは使ってみて初めてわかる素晴らしさとか、デザインの価値とかにふれる機会をそもそも放棄しているスタイルでもあります。

でもまあその辺にトライするよりは気持ち的に楽な方がよいので、当面今のままのスタイルでいくと思います。