2019/03/11

シンプルは生、複雑は死

シンプルさと改善性の関係について考えてみます。

結論からいくとシンプルであればあるほど改善もしやすいです。

改善というのは好転を期待して対象に変化を与えることですが、変化には違和感がつきもの。変化を与えた後は、それに伴う違和感が「単なる不慣れ」なのか「本質的なズレ」なのかを見極める必要があります。(関連エントリー→変化により生じる違和感は「不慣れ」なのか「本質的なズレ」なのかきちんと見極める

で、改善対象がシンプルであればあるほど、違和感が単なる不慣れなのか本質的なズレなのかを見極めるのが容易になります。考慮すべき変数が少ないからです。

一方で対象が複雑だと考慮すべき変数が多いため、変化によって生じた違和感の正体を見極めるのが困難になります。

つまり、シンプルであるほど改善を行うハードルが下がり、複雑であるほどハードルは上がるということ。

となると、シンプルなものは改善が繰り返されますます価値が高まっていくのに対し、複雑なものは改善がなされることなく放置されていく。

これすなわち、シンプルは生、複雑は死ということ。

ゆえにぼくはシンプルをこよなく好みます。基本的に複雑になった時点で物事はそこで終わり。シンプルさの維持こそが生命線です。

改善とシンプル維持の両立が困難なケースも多々ありますが、そここそ知恵の絞りどころ。あの手この手を調べ、考え、試し、どうにか好手を見出します。好きなんです、この作業。たぶん日常生活のなかで一番好き。

ここに適性があるので、とりあえずぼくの生活はシンプルに保たれているのだと思います。


2019/03/10

石垣島の部屋を退去した翌日に天井が抜けた話

昨年末に石垣島で3年間住んでいた部屋を退去して、いまは千葉に戻ってきています。で、その退去した部屋、ぼくが出た翌日に天井がまるごと抜けたらしいです。

一階の部屋だったのですが、二階の水道配管に漏れがあり、溜まった水ごとズガンと天井が落ちたとのこと。

二階と三階はゲストハウス用にリフォームされている最中で、「完成するとなんやかんやで住みづらくなりそうだなー」と思ったのが退去を決めた理由の一つだったので、ある意味読みがあたったとも言えますが、さすがに天井が抜けるというのは想像の埒外。退去が1日ずれていたら冗談ですまない被害を被っていた可能性もあるので、まさに間一髪。

今回も含め大きめの節目で運のよさに救われたことが、これまでにもちょいちょいあります。毎回天に甘やかされてるなーと思いつつ、次もぜひまたよろしくねと幸運の神様にウインクするぼくなのでした。


2019/03/09

シンプルにするには知識が必要

ついにスマホデビューを決意した母親用に、新しいスマホのセットアップをしております。

コンセプトはシンプルに使いやすく。ですがこれって結構難しい。

シンプルにするということは不要なものをひたすら削っていくということなので、なにを消して良いか、何を消してはいけないかをまず理解していなくてはならない。動作を軽くするために、常駐アプリは極力少なくしておきたいところだけれど、うっかり必要な常駐アプリまで止めてしまうと動作に支障をきたしてしまいます。(ちなみにAndroidスマホです)

削ったあとに使いやすく整えるのも、これまた大変。あとから「あーその機能使えばもっと便利にできてた!」と発覚するのはイケてないので、基本的にすべての機能を知っていなければならないからです。

もともとAndroidユーザーなので基本的な設定には精通していますが、それでも機種依存の設定もそれなりにあるので、その辺ひととおり確認した上で最も使いやすかろう設定、配置に整えています。

シンプルにするには本質的な理解が必要というのは、スマホに限らず何事にも通じるところです。本質的な理解が必要ということは、それなりに労力がかかるということでもありますが、それをせずに複雑なままにしておくと、今度は日常的な使用にかかる労力がかさんできてしまうので、やはり始めのうちにクリアしておいた方がよい課題だと思います。

スマホの設定はあらかた終わったのだけれど、いまいちうまく動かないアプリがあるので動作確認中。

もうちょいがんばるぞー


2019/03/08

文章書きとしての目覚めは俵万智のカンチューハイ

過去にはブログを、今年に入ってからはnoteを日々書き綴ったりする程度には文章を書くのが好きなんですが、初めて自分はもの書きに適性があるんだなぁと気づいたのは高校生のときです。

当時国語の授業で一人に一首短歌が割り当てられ、その解釈や作者について文章にまとめて発表するという課題がありました。そこそこの分量書かないといけなかったので周りの友達はみなひーひー言っていたのですが、ぼくとしてはわりとあっさり書くことができて。

で、いざ発表したところ、同級生からも先生からもかなり好評。自分でもそこそこうまく書けた手応えがあったので、これは自分は文章書くのに向いてるんだなと自覚しました。

ちなみにぼくに割り当てられた短歌は俵万智の

「嫁さんになれよ」だなんてカンチューハイ二本で言ってしまっていいの

でして、ぶっちゃけ石川啄木や中原中也なんかと比べると論評しやすかったという運のよさもあったと思います。

大学時代は理工系ということもあり文章書いて得することはほとんどなかったのですが、働き始めてからはマニュアルや仕様書、報告書など文章を書く機会も多くなり、このスキルは結構重宝しています。

最近は動画を筆頭に文章以外の自己表現もさかんですが、ぼくには文章が一番合ってる気がするので、当面は文章書いて楽しんでいきたいと思います。


2019/03/07

自分に不都合な情報でも知っておきたい派

自分にとって不都合や不愉快な情報、例えば「自分がガンである」とか「恋人が浮気している」とかを知っておきたいか、知らずにいたいかは、けっこう意見が分かれると思います。

ぼくはといえばぜひとも知っておきたい派。というのもできる限り自分の人生をコントロールしたいという欲求があるから。情報があれば次の打ち手を考えることができますが、何も知らないと動くべきときに動くことができない。それがイヤ。

もちろん不都合な情報を知ることで相応のショックは受けるので、知らずにいたいという考えも理解はできます。が、それでもぼくとしては動くべきときにしっかりと動けない方がイヤなので、良し悪しを問わずできる限り情報は得ておきたいです。

これは完全に「自分は情報さえあればそれなりに対応することができる」といううぬぼれですが、物事を解決すべくあれこれ考えるのは好きなのでドンとこい。

あ、でもやっぱりあんまりヘビーなのは勘弁。


2019/03/06

確定申告用の公式PDFファイルが、すべて書き込み禁止な素晴らしき国ニッポン

確定申告戦線も終盤です。

お国もがんばって確定申告用の書類のフォーマットをPDFファイルでダウンロードできるように用意してくれています。

確定申告書などの手引き・様式

がしかし。これらのPDFファイルはすべて書き込み禁止の処理がされている。つまりパソコン上で記入して印刷することができず、一度印刷してから手書きで記入するしかない。

はあ???

書式を勝手に変更されたくないお役所的な気持ちは百万歩譲ってわからなくもなくもなくもないですが、それでも国民に強制的な手書きを強いることの不合理さを気に留めないその姿勢には感服します。

パソコンだけで完結したかったらe-Tax使えってことなんでしょうが、あんな使い勝手の悪いシステム使うのは絶対にイヤです。確定申告用のクラウドサービス使っているので二度手間ですし。

もうね、むりに働き方改革とか経済的成長とか目指さず、非合理をものともしない「なにがあっても変わらない国ニッポン」として世にうっていったらいいんじゃないですかね。まったく。


2019/03/05

怒る快感に取り憑かれてはならない

昨日ひさしぶりに仕事で怒りました。

基本的に怒りはメリットよりもデメリットの方が大きいので、おいそれとは使わないのですが、もろもろの状況を鑑みてここは怒っておいたほうが良いだろうと判断し、静かに怒りを表明。

で、ひさびさに怒ってみて思ったのが、やはり怒りには中毒性があるなぁということ。おそらく怒りの発露と同時に、脳ではなんらかの快感物質がでているのではないかと思います。

なので気をつけないと怒りに取り憑かれる可能性がある。

かつての会社員時代に、一度この怒りに取り憑かれたことがあって。自分としては正当な権利と主張をもってまっとうに相手を問いただしていたつもりだったのですが、傍から見ていた同僚から「どうしちゃったの??完全に別人だったよ?」と指摘され、自分が怒りに取り憑かれていたことが判明。

今思えば怒っている自分に陶酔した状態だったのだと思います。酒に酔った感覚にやや近いかもしれませんが、「自分は正しいことをしている」と信じきっているので、酔っていると気づきづらいのが危険なところ。自分が「上司」や「発注主」などの相手より強い立場にあるときに、このモードに入る危険性が高まる感じです。

そんなことがあったんで、以降怒りの使用には極力気をつけていて、

・基本的には使わない
・どうしても使う場合は最小限
・使った場合は「酔い」が覚めるまでうかつなことはしない

そんなことを心がけています。


2019/03/04

「不慣れ」に負けずに姿勢の改善に成功した話

昨日のエントリーで変化に伴う違和感には「単なる不慣れ」と「本質的なズレ」があるという話をしましたが、これまでの経験で最も大きかった不慣れは姿勢を矯正したときです。

もともとかなり猫背だったのですが、10年くらい前にふと思い立って姿勢の矯正に着手。姿勢が(むりやり)よくなるマットを会社の椅子に敷き、つねに良い姿勢で仕事するようにしました。始めは「こんなの無理」っていうくらい違和感があり、違和感どころか軽い痛みもあったのですが、「よい姿勢のほうが最終的には身体にとって自然で負担も少ないはずだ。なのでこれは本質的なズレではなく単なる不慣れだ」と信じて続行。その結果1年も経ったころには痛みも負担もなく、ごく自然によい姿勢を維持できるようになりました。

最初の違和感に負けて矯正をやめていたら今のよい姿勢は手に入らなかったわけで、やはり不慣れに負けずに変化を継続するのは大切だなと感じました。もちろん「どうしても痛みが取れないなど」明らかに本質的なズレとみなされる要素があれば、やめておくべきですが。

このケースは「そもそもよい姿勢を維持するだけの筋力がなかったのが徐々に鍛えられできるようになった」という話なので、たんなる不慣れとはちょっと違うかもしれないですが、ぼくの中で変化をポジティブに捉える大きな体験となっています。


2019/03/03

変化により生じる違和感は「不慣れ」なのか「本質的なズレ」なのかきちんと見極める

ぼくは効率化の類が大好きなので、「もっとこうしたほうが良いのでは?」と気づいたことがあったらすぐに配置や手順を変えてみたりします。

それがうまくいくこともあれば失敗することもあるのですが、どちらの場合でも何かを変えたときは、必ずそこに違和感を感じるようになります。今までとは異なる状態になっているのでそれは当然なのですが、ここで重要なのがその違和感が単なる不慣れなのか、本質的なズレなのかを慎重に見極めることです。

もしその違和感が単なる不慣れなのであれば、おこなった変更をもとに戻す必要はありません。少なくとも時間の経過とともに不慣れが解消されるまでは様子をみるべきです。ここで不慣れを原因にもとに戻してしまっては、せっかくの改善の可能性を潰してしまいかねません。

一方で変更に伴う違和感が本質的なズレにより生じているのであれば、それは早々にもとに戻すなり、他の方法を試すなりするべきです。

見極めが難しいケースもありますが、迷ったのであれば変えたものは継続してみて、やっぱりダメだと確信した時点でもとに戻せばよいと思います。

はたから見ていてもったいないなーと思うのが、「違和感を感じるのが嫌だからできるだけ現状を変えない」というスタンス。確かに違和感は一時的には不快感や効率の低下を生じるので、避けたい気持ちも分かるのですが、だからといって変化自体を拒んでしまうと、改善の機会を失ってしまいます。

もし改善していれば回避できたであろうロスをえんえんと続けることは長期的に見ると非常に大きな損失です。

その損失はぜひとも避けたいので、ぼくのスタンスとしては少々の違和感に怯えることなく、積極的にいろいろと変えていきたいと思います。


2019/03/02

書いた文章の呼称は記事?エントリー?note?

ブログ時代から悩んでたことなんですが。

ブログやnoteに書いた文章のことをなんて呼んだらよいのでしょうか?記事?エントリー?note?

一般名詞として一番近いのは記事だと思うのですが、辞書的な意味としては事実ベースのものを記事と呼ぶらしいです。

き‐じ【記事】
1 事実を書くこと。また、その文章。
2 新聞・雑誌などで伝える事柄。また、その文章。「事件を記事にする」「三面記事」
3 「記事文」の略。
goo辞書より

となると、主観で書きまくってるぼくの文章を記事と呼ぶのは明らかに違う。

ブログであれば正式名称はエントリーですが、いまいち市民権を得られていない感。ブログ民にしか通じない気がしたので、ぼくはあまりエントリーとは呼ばずに「昨日のブログでは」みたいに書いたもの自体もブログと呼ぶようにしていました。

書いてる場所がここnoteであれば、書いた文章もそのままnoteと呼ぶのが一番楽ちん。サービスとしてのnoteと、文章としてのnoteの混同がやや懸念されますが、「note書いた」というだけで「noteに文章書いた」という内容が伝わるのはとっても便利です。noteの知名度がそもそもどうなの?という点は時間とともに解消されていくことでしょう(希望)。

というわけで、ぼく的には書いた文章の呼称は

・ブログであればブログ
・noteであればnote

ということで暫定運用。

もし妙案ありましたらぜひ教えてください。


【2021/12/01 追記】
このブログを一時期noteへ移していた頃のエントリーです。


2019/03/01

とりあえずnoteで1ヶ月書いてみての振り返り

noteを毎日つづるようになってひとまず1ヶ月経過。現時点で感じたことをつれづれと。

ネタにはそんなに困らない

いままでの「書きたいことがあれば書く」スタイルから「とりあえず毎日書く」スタイルへ変えてみたのだけれど、ネタにはそんなに困らない。むしろ書いた内容をもとに、次に書きたいことが出てくるのでネタはどんどん増えてる感じ。

システム側の管理をしなくてよいのめっちゃ楽

過去のブログはレンタルサーバー+WordPressという構成だったので、システム側の管理になんやかんや手間がかかっていたのだけれど、noteはその辺手放しにできるのでめっちゃ楽。ページ構成などを自由に作り込めないのでつまらないかなーと思っていたのですが、むしろ書くことに集中できてよい。

SEO強え

「高木龍平」での検索で、noteが早くも3位(1位Twitter、2位MarkeZine)。SEO強化しているというのは伊達ではなかった。過去ブログ形無し。

死後に残せる安心感

レンタルサーバー+WordPressだと管理者たるぼくとその書いたものは一連託生ですが、noteであればぼくの死後も書いたものは公開し続けてくれる(はず)。死後に世に残せるものがあるというのは、なんとなく安心感。

パッと思いつくのはこんなところ。かなり気に入っているので、このままnoteで続けていこうと思います。


【2021/11/28 追記】
このエントリーを書いたときは龍論をnote上に移していました。その後Bloggerに移行し今に至ります。