2012/04/29

火曜サザエさんの曲を検索するという戦いの記録。

昨日の夜の出来事です。とある曲が無性に聞きたくなりました。

サザエさんの曲なのですが、今やってる日曜サザエさんではなく、昔やっていた火曜サザエさんの曲。それもオープニングとかエンディングではなく、番組途中に流れる短編作品のBGMで流れていた曲です。なんだか凄くノリのいい曲で。

中学生の頃、この曲が流れたらダッシュで塾に向かうというパターンで動いていたのでなんとなく印象に残っている曲なんです。

その曲が突然ものすご~く聞きたくなったので、早速検索。当然曲名なぞ知る由も無いので、手がかりになりそうなキーワードでの検索を開始。

まずは「サザエさん 火曜 曲」。うん、出てくるのはオープニングかエンディングの曲ばかり。これは僕の求めてる答えじゃない。

次「サザエさん 火曜 曲 途中」。我ながらセンスの無いキーワード。当然答えはまだ出てこない。

なんだ?何を使えばいいんだ?「サザエさん 火曜 曲 BGM」出ない。「サザエさん 火曜 曲 軽快」出ない。

ふう。落ち着け、落ち着くんだ。必ず手掛かりはあるはずだ。まがいなりにも検索を生業とする身。この戦いだけは絶対に負ける訳にいかない。

他に手掛かりは無いか。あと覚えてるのはメロディ。確か出だしは「ドードーラソミレ ドードーラソミレ ドードーラソミレ ドッ (バウン)」だ。

ダメもとで検索。「サザエさん 火曜 曲 ドードーラソミレ」。

出た!!これだ!レッツ・ゴー・サザエさん。

レッツ・ゴー・サザエさん

いやー、すがすがしい。なんという達成感。いるもんですね、僕と同じように探してる人が。インターネットの偉大さをまた一つ思い知りました。

こんな感じで僕のゴールデンウイークは平和に過ぎてます。

かしこ。


【2021/01/11 追記】
龍論きってのナンセンスエントリー。根津のファミレスでiPad使ってノリノリで書いた記憶。楽しかった。

2012/04/26

根津の街は歴史があるから好き。

前回に続いて歴史の話。今回は街の歴史について。

以前にも書きましたが、僕は去年の夏に渋谷から根津に引っ越しました。両者を比べると根津の方が圧倒的に落ち着きます。

落ち着くというか根津の方が安心感があります。渋谷は便利なんだけれど、いつ何が起こるか分からない危うさのようなものを感じてました。

その違いの元になっているのが、街の歴史だと思います。

江戸時代からの文化が色濃く残る根津と、ここ40年くらいで一気に開発された渋谷。その歴史の深さの違いは歴然です。

根津の街の安心感はその歴史に根ざしていると思います。

歴史があるということは、その中で紡ぎあげられた価値観がしっかりしているということ。なので変化には乏しいかもしれませんが、突然なにかが急に変わることはないだろう安定感、安心感があります。

その安心感を、僕はとても心地良く感じています。

一方で渋谷は変化、勢いの街ですね。7年前、渋谷に住み始めたときは、その刺激を楽しんでいましたが。

おっさんになっただけか。(笑)

ともあれ、歴史のある根津の街気に入ってます。

次の週末あたりつつじが綺麗に咲きそうなので、根津神社のつつじ祭りでも行ってみます。

落ち着いて暮らしたい方にはお勧めですよ。根津。

 では。


【2021/01/10 追記】
渋谷には渋谷のよき歴史があることに気づけていないとは、まだまだ甘い。

2012/04/25

歴史が好き。

歴史が好きです。世界史も、日本史も好きですし、もっと小さな「この街の歴史」なんてのも好きです。

好きなものを好きな理由を探るのは野暮ですが、あえて僕が歴史を好きな理由を探れば歴史には価値観の源があるからだと思います。

価値観の尊重が僕が人と接する際の基本スタンスですが、その人が背負っている歴史を知ることでその人がどのような価値観を持っているのかをより深く知ることができます。

それが分かった上で接すれば、より深く相手を尊重することもできるし、無意識に価値観をないがしろにして不快な思いをさせることも防げます。

そんな実利があるので、僕は歴史を学ぶのが好きなんだと思います。

ただ、歴史を学ぶのって難しいんですよね。もちろん何らかの書籍で勉強することが多いのですが、その書籍には当然著者の解釈が入っています。ので必ずしもそこに書かれていることが真実とは限らないです。

ので、その著者がどんなスタンスで書いているのかを見極めながら読まないといけないのが、難しくも面白いところです。

色んな観点で書かれた本を読み比べるのがいいんでしょうね。時間かかりますが。。

世界史も日本史もまだまだ勉強したいところがいっぱいあります。まとまった時間が取れたら一度集中的に勉強したいなー、なんて思っています。

いつになるやら、ですけれど。

では。


-----<ここからコメント>-----

Mie Miyasaka
同じ出来事でも、立場が違えば正反対のことになってしまうのが歴史書だよね。
それぞれの立場を勘案しながら、多様な視点を学ぶってのは、人と人との関係を築く上で大事なことかもね。
いいね! · 返信 · 8年前

Ryuhei Takagi
ですね。心がけます。
いいね! · 返信 · 8年前

-----<ここまでコメント>-----



【2021/01/10 追記】
歴史には未来を読み解くヒントがあるからね。詳しく知っといて損はないというか、知らないと損。

NHKのヒストリアと知恵泉はよく見てます。

2012/04/23

価値観は押し付けずに見せ付けよう!

最近、価値観というのが自分の中でキーワードになりつつあります。このブログの中でもかなりの頻度で価値観という単語が登場しています。

その価値観を扱うにあたり強く意識している点があります。それは、価値観は存分に見せ付けていいが、決して押し付けてはいけないということです。

多様性の世の中、重要なのはキャラが立っていることです。なので、自分はこういう人ですよ、こういう考えを持っていますよという価値観の披露は非常に重要です。ガンガンやるべきです。

一方でその価値観を人に押し付けてはいけないと思います。価値観を受け入れるか否か、共感するか否かは、受け手側の権利なので発信者が強制するのはタブーです。

以前に受けたトレーニングで、講師がほぼ一方的に価値観を押し付けてくる形式のものがありました。正直、終始違和感を感じていました。「あなたはそう思うんだろうけど、僕は違うよ」と。

もちろんひとつの組織内においてはそれなりに価値観が統一化されていることが必要なので、場合によってはある程度価値観を押し付ける必要が出てくることもあると思います。

でもそれは言わば最後の手段です。価値観を押し付けられた側は、恐らくその価値観の中では必要最低限の行動しかしません。

それよりも必要なのは、組織を率いる側が理念を語り、ビジョンを語り、価値観を存分に見せ付け、まずはメンバーに共感してもらうことです。さすればメンバーはそのビジョンの実現に向け、自発的に動き出すことでしょう。

 

と言うのも、僕の一つの価値観の見せ付けですね。

では。

 
【2021/01/09 追記】
なかなかうまいこと言う。

ぼくは基本的に人は外力では動かない(仮に動いても長続きしない)と思っているので、その点からしてもできるのはせいぜい価値観を見せつけることくらいです。

一方、文中でも触れていますが、価値観を押し付けられると拒絶反応を示しますので、使用の際はご注意ください。

2012/04/22

再考・ソーシャルハラスメント

以前のエントリーでソーシャルハラスメントという概念に触れました。

その際は、ソーシャルハラスメントを、ソーシャルネットワークに対する個人情報公開基準が異なる二者の間で発生する不快感、軋轢と定義しました。

が、最近ちょっと別の意味合いで使われることも出てきているようなので、混乱しないように改めて整理してみたいと思います。

最近ソーシャルハラスメントと呼ばれ始めているケースが
・嫌いな上司が社内権力を伴って友達申請をしてくる。
・上司が自分の書き込みへのコメントやいいね!を強要してくる。
・異性の同僚がソーシャルネットワーク上で不快なコメントを残してくる。
といったものです。具体的にはこんなケースですね。

僕の認識ではこれらはソーシャルハラスメントというよりは、ソーシャルネットワーク上で行われている、パワハラやセクハラです。

あくまでパワハラ・セクハラなのでこれらをソーハラと呼んでしまうと、ちょっと概念が混ざってややこしくなってしまう気がします。

とは言え、実際に使われているという事実があるのでそれを踏まえてソーシャルハラスメントを改めて定義すると、

・広義にはソーシャルネットワーク上で発生するパワハラやセクハラ、その他ハラスメントの総称。
・狭義には、ソーシャルネットワークに対する個人情報公開基準が異なる二者の間で発生する不快感、軋轢

となると思います。

どちらも結局はハラスメントなので、自分の基準と相手の基準の違いを認識して不快感を与えないよう敬意をもって接するべし、という点は共通ですね。

ちなみにソーシャルハラスメントが今後より大きな社会問題となり、ひいては2012年の流行語になった暁には概念の名付け親として流行語大賞の授賞式に呼んでもらうという野望は継続中です。(笑)
ちなみに在3位

ユーキャン新語流行語大賞ご担当者様
どこよりも早くソーシャルハラスメントを定義、考察しているブログはこちらです。(キリッ

 

では。


【2020/12/18 追記】
過去の定義を最新の状況を踏まえてアップデートするという姿勢は立派。ただし文体はあいかわらずキモい。

「」の使いすぎは読みづらいとようやく気づいたっぽく、乱用が減ってるのは良い変化。

2012/04/18

10年前と同じメンバーで10年間を振り返ったワークショップ。

この4月で社会人生活丸10年が過ぎました。

そんな節目の時に、とある新卒同期の呼びかけにより同期のメンバー数名(+1コ上の先輩1名)で集まってのワークショップが開催されました。(K子サンクス!)

なんと講師も10年前に新卒研修を担当してくれた西邑さん。(出版おめでとうございます!)

さぁ、10年を経てのワークショップ開催です。

当日の内容は
・西邑さんお得意のアイスブレイク。
・視界を揃える重要性を体感するワークショップ。
西邑さんさんの本についての意見交換、裏話。
・社会人生活10年を振り返るチャート作成ワークショップ。
といった感じ。どれも内容濃かったです。

まずはアイスブレイク。実は同様のアイスブレイクを以前にもやったことがあったので、ずるっこで話しやすいの選びましたw。つーか僕西邑さんの研修、延べ何回受けてるんだろう。。

続いての視界を揃える重要性を体感するワークショップ。内容の詳細は割愛させて頂きますが、ホント勉強になりました。いわゆる「噛み合ってない会議」は、参加者間で見えてる世界が違ってるが故に発生するのだとしみじみ感じました。そうならない為には
・極力視界が揃うよう、可能な限り同じ情報を共有する。
・それでもお互いに見えてる世界が違うことを理解し合い、尊重し合う。
といった点が重要ですね。

次の西邑さんの本についての意見交換の中では、本を読んで気になったことや、深堀して聞きたかった点をいくつか質問させてもらいました。著者に直接聞けるなんて贅沢です。本の中で紹介されているエピソードの当事者だった1コ上の先輩からも直接話が聞けて良かったです。いろいろ詳しいことが分かりました。

最後が個人的にはメインイベントとも言える、この10年間の振り返りワークショップ。本の中でも紹介されていたチャートを作ることで10年間を振り返りました。チャートを見ることで、10年間の自分の価値観の変遷というか、価値観が形成されていく様が浮き彫りになって、面白かったです。 

といった内容を、同期の面々と色々話しながら進めたんですが、その中でしみじみ同期って特別な存在だなと思いました。社会人としてのスタートを同じ日に同じ場所で切ったという事実を共有しているからこそ言える、分かり合えることがいっぱいありました。

これからもこのつながりは大切にしていきたいと思います。

お忙しい中講師をして下さった西邑さん、本当にありがとうございました!あと、ワークショップ企画してくれたK子、まじサンクス。また節目節目でこういうのやりたいね。

では。

 


【2021/01/09 追記】
新卒で入社したのは、今はなきEDS Japanという会社でした。ここの新卒トレーニングは本当に素晴らしく、EDSで社会人としてのスタートを切れたのは人生トップクラスの幸運です。

実は大学院を1年で中退し、ニュージーランドを遊び歩いてからの入社だったので厳密にいうと新卒ではなかったのですが、そんな脱線モノも普通に受け入れてくれる度量の深い(あるいはいいかげんな)会社でもありました。

2012/04/17

リスクについて改めて考えてみた。

今日参加した五反田での朝活。テーマはリスクでした。

いつにも増しての深い議論を客観的にまとめるのはちと難しいので、議論を踏まえての個人的な理解をまとめておきます。

まず、リスクには

選択権のあるリスク。(保険に入るか、転職するか等)
選択権無く巻き込まれるリスク。(災害、事故等)

の二種類があると理解しました。

で、選択権のあるリスクについての理解はこんな感じ。

・リスク≒可能性。リスクの先にリターンが期待できる事もあるので、リスク自体はネガティブなものではない。
・ネガティブなのはリスクをコントロールできないこと。
・リスクコントロールに必要なのは「リスクの大きさ」「自分のリスク許容度」「リターンの大きさ」の把握。
・リスクの大きさと自分のリスク許容度の大小によって、リスクを取れるかどうかが決まる。
・リターンの大きさによって、そのリスクを取るべきかどうかが決まる。
・普段から細かなリスクを多く取ってリスク慣れしておく事が重要。

続いて選択権の無いリスクに対する(対処法の)理解はこんな感じ。

・まずは起こりうるあらゆる事態を想定しておく。(その際に必要なのが経験と、想像力)
・各事態を「備える」「備えない」に分類する。
・備える事態には、発生の際にどのように対処するかをあらかじめ決めておく。
・「想定外の事態」「備えない事態」が発生する可能性を覚悟しておく。

選択権の無いリスクへの対処法は、以前に書いたジャックバウアーは何故死なないかに通じるものがありますね。

今日の会の冒頭で

・高い自由度がリスク対策になる。

と発言したのですが、これは上記を踏まえると

自由度が高いと、リスク許容度が高くなる。よってリスクを取りやすくなる。

ということになります。

ちなみにリスク許容度を高める方法は次の二通りあると考えています。(M田さんのご意見参考にしています。)

・守るものを少なくする。(軽さ)
・守るべきものを守れるようになる。(強さ)

この軽さと強さの合計がリスク許容度になるかな、と思っています。

今の僕のリスク許容度はほとんどが軽さでできています(笑)。気楽でいいっちゃいいんですが、ぼちぼち守るべきものができた時に守れる強さも身につけていかなきゃなーとも思います。

と、こんな感じでリスクについて改めて整理できた充実の時間でした。

司会のN橋君始め参加の皆様、ありがとうございましたっ!


-----<ここからコメント>-----

Mie Miyasaka
夫にとって、私と結婚することそのものがリスクだし(爆)、もうすぐ守るべきものが増えるわけですが・・・どうも最近見てて強くなってる・・・。
たぶん、守るべきものを守れる強さを獲得してから守るものを抱え込むのではなく、守るべきものができた時に人は強くなれるんじゃないかな~。
守らなきゃいけないものができると、自分の弱さを痛感するようになるけれども、
同時にそれは強くなってるってことなんだお。
いいね! · 返信 · 8年前

Ryuhei Takagi
考え過ぎずに進めっ!ってことか。
いいね! · 返信 · 8年前

-----<ここまでコメント>-----



【2021/01/08 追記】
あれから9年、あいかわらず守るべきものはないっ!

2012/04/14

思考のモジュール化でより深い思考へ。

最近ブログのおかげで思考が深まってると感じます。まとまるではなく深まる感じです。

まとまるのは分かります。ブログを書く行為自体が自分の考えを他者が理解できるように言語でまとめて発信する行為ですから。でもそれだけでなく深まるのです。

なぜそうなるのかを考えてみたところ、ブログを書く行為が思考をモジュール化するからだという結論に至りました。

まずはモジュールの説明から。

モジュールというのは、一つの製品を構成するおおまかな部品の集まりです。例えばテレビの場合だと「液晶パネル」「電源まわり」「電子回路」あたりがそれぞれモジュールになります。特定の一機能を持つ部品の塊がモジュールです。

電化製品は、全ての部品を1から組み立てるのではなく、まずは細かな部品を組合わせてある程度の機能を持ったモジュールを作り、そのモジュールを組合わせて最終的な製品にするのが一般的です。

モジュール化の良いところは、モジュールを使いまわすことで簡単・高速に製品を作れることです。パソコンの自作が良い例です。パソコンの自作はもの凄く簡単にできます。もちろん1から個々の細かい部品を集めてパソコン作るのは相当大変です。というか一般人にはまず無理です。でも、パソコンを構成する要素はモジュールという形で既に揃っています。ハードディスクとかCPUとかメモリとか。それらのモジュールをプラモデル感覚で組み立てていくだけで、パソコンは出来上がります。

モジュールを使うことによって、1から作るのがとても難しいあるいは時間がかかるものでも、簡単に素早く作ることができるのです。

話を思考に戻します。

ブログの記事を一つ書くことによって、思考が一つモジュール化されます。そして次の思考はそのモジュールを使って簡単に組み立てていけるようになるのです。結果、限られた時間の中でもこれまで以上に思考を組み立てられる、すなわち思考が深まる。ということじゃないかと思っています。

ブログを書くことが、思考をモジュール化する唯一の方法という訳ではないですが、世の中への発信前提だとそれなりにまとまる(まとめざるを得ない)ので、僕にとってはかなり有効な方法な気がしてます。

 

考えてばかりじゃなく、行動に移していかなきゃですが(汗

では。

 
【2021/01/08 追記】
ちきりんの言う「思考の棚」を自分なりの表現で書き下ろしたエントリー。

超高速でリアルタイムに思考を組み立てられる天才を除けば、思考モジュールを事前にどれだけ取り揃えておけるかと、手持ちの思考モジュールをどれだけ臨機応変にその場で活用できるかが、いわゆる賢さの鍵だと思います。

僕が初めてモジュールという概念を意識したのは、大学4年の頃。大学の研究室でロボットを作成していた際に、先輩から「ある程度の機能ごとに部品のかたまりを作っておいた方が修理も楽だし、応用も効くよ」とアドバイスを受けたときでした。

これぞまさにモジュールの考え方であり、物理的のみならず、思考法としても永く活用させてもらっております。

2012/04/11

腰痛にはお尻のストレッチが有効らしい。~朝礼アーカイブ④~

これは5階の朝礼で話したネタ。1年半くらい前ですかね。

ちょうどその頃軽い腰痛になってて、解消の為に読んだストレッチの本から拝借したネタです。
その本曰く、

腰痛の解消には腰のストレッチだけではダメ。腰痛は腰の筋肉とお尻の筋肉のアンバランスから発生していることがあるから、お尻の筋肉もストレッチしましょう。(もちろん個人差あります)

とのこと。なるほど。で、これに引っ掛けて

トラブルの原因は表面的に見える部分以外にあるかもしれない。しっかりと発生メカニズムを調べて、有効な抜本的対策をとりましょう。

というメッセージと共に話しました。

反応は、まぁ不評でしたね。。「無理に仕事に絡めようとしすぎ」とか「こじつけ感がある」とか。確かに。

この反省は次回に活かすとして、お尻のストレッチをすることで実際に腰痛はかなり軽減されました。それに味をしめ全身のストレッチを始めたのもこの頃。

効果は上々で、随分と体が柔らかくなりました。今や膝を伸ばしたままで、手のひらが床にぺったりです。だからどうって訳ではないですが、怪我や痛みの予防に多少は貢献してるんじゃないかと思ってます。

最近はちょっと思い付いた時にやるくらいのペースですが、やっておいて損は無いと思うのでこれからも適度に続けていこうと思います。

では。


【2021/01/07 追記】
朝礼の話はだいたいヒネリを入れようとすると失敗しますね。シンプルが一番です。

ストレッチは今でも続けていて、あとちょっとで前後180°開脚できるところまできました。継続は力なり。もとい、継続のみが力なり。

2012/04/10

自然に生きる。

僕は自然が大好きです。

一般的に自然という言葉は二つの意味合いを持っていると思います。大自然と自然体。どっちも大好きです。

というかよく考えればどっちも同じ意味ですね。あるがままってことです。

全ての物・者はあるがまま、無理のない状態が一番美しいと思います。だから余計な力が加わっていない大自然は常に無条件で美しいです。

大自然と対極にある思いっきり力が加わっている景観が都会のビル街。昔は結構好きでした。力と金の象徴みたいで。ある種の強さをそこに感じてました。

でも最近はそんな都会の魅力よりも、そこに在る不自然さの方が目に付くようになってきました。あるがままの姿からは程遠いな、と。

もちろんそこから生まれる経済の力が日本を支えているのは分かっています。単に僕が個人として魅力を感じる強さが作られた強さではなく、自然な状態から生まれる強さへとシフトしたんだと思います。

あるがままの環境で、あるがままの自分を出して生きる。そんな暮らしに思いを馳せる今日この頃です。


-----<ここからコメント>-----

Mie Miyasaka
natureはもちろん美しいのだけど、人間の場合あるがままの自分を受け入れるっていうのが難しい場合もあるのではないかな。人間って、美しいばかりではない醜い一面も持ち合わせていて、そういうのをどう処理していくかっていうのが努力だったりなんかだったりするのでは?ときどき、なんのために頑張ってるのかわけわからなくなって、疲れちゃうんだけどね。笑
いいね! · 返信 · 8年前

Ryuhei Takagi
そうね。醜い部分は極力心の中に押し留めて、人としての品格は可能な限り高くありたいす。それ以外の個人の特徴の部分は、環境に合わせて自分を形作るのではなく、極力自分の特徴が最大限活きる形で、社会に働きかけていけたらな、なんて思ふ。難しいけど~

-----<ここまでコメント>-----



【2021/01/07 追記】
自然なのは良いこと、それは間違いないしぼくの基本理念でもあります。

が、田舎が良い、都会はイヤっていうのはちょっと幼いですね。田舎も都会も両方楽しめてこそ、真の強さを身につけたと言えるわけで。

ここしばらく田舎(というか島)暮らしを続けてきたぼくの次のステップはその辺にあるのかもなー、と思ったりもします。

2012/04/08

朝活のルールについて考えた朝活[朝活メモ 4/3@五反田]

ちょっと遅くなりましたが4月3日(火)に参加した五反田での朝活のメモです。

この日のテーマは朝活のルールについてでした。朝活自体が歴史も浅く新しい概念なので、その中でどんなルール設定を皆が想定しているのか、欲しているのかが知りたく参加しました。

参加者は14名くらいでしたかね。例によって大盛況でした。

で、朝活のルール。なんとなくその場の総意としては、

・ルール設定は(要・不要も含めて)会の主旨・目的次第。
あまりこと細かには決めずに参加者の社会人としての良識に委ねるのが良いのでは。

といったところだったかと思います。僕もこの方針には賛成です。
もちろん、もの凄く明確な目的を持った厳格な会であれば、厳しいルール設定をするのもありだと思います。

上記に加えての個人的な意見として

・Facebookを朝活運営のインフラとして使うことは「参加者のフィルタリングがかかる(つながりが前提いなのであまりおかしな人が入ってこない)」「活動の履歴が残せる」といったメリットがあるのではないか。

という意見を発言させてもらいました。A原さんが仰っていた

・参加者どうしがその後もつながりやすい。

というのもまさにFacebookを使う利点だと思います。活動にレバレッジが効きますね。
目からウロコだったのがY谷さんの

・会自体に目的がある会だけでなく、とりあえず人が集まり参加者自身が目的を見出していく会もありではないか。

というご意見。この話聞くまでは正直「会なんて目的があってなんぼ」と思っていたのですが、確かに目的の有無にこだわらず「場を提供する。目的は各自が見出す」というのもありだと思いました。ただし参加者自身が相当な主体性を求められることを自覚している必要はあると思いますが。

ちなみに会の終盤は、

朝活は一日のスタートに参加する会なんだから明るく前向きでなんぼだろ!

という意見に端を発しての笑いとその効能に関しての議論でした。やっぱり笑いは心身共に良い影響生みますよね。

その結果(?)次回のテーマは「第二回 絶対にすべらない話」となりました。既に参加表明したので、何か面白いネタを考えねば•••

と、そんな感じのとても勉強になる朝活でした。今回司会のA部さん始め参加の皆様、素敵な時間をありがとうございましたっ!


【2021/01/06 追記】
朝からがんばるなぁ。

今となってはFacebookを使ってのオフ会はどうあるべきかなんて議論することもないでしょうが、当時の新しいモノに対する手探りっぷりが垣間見えておもしろいです。