2012/03/28

ジャック・バウアーは何故死なないか。~朝礼アーカイブ③~

引き続いての過去の朝礼ネタ。「ジャック・バウアーは何故死なないか」という話をした時もありました。フロア分割されて4Fでアットホームに朝礼やってたころですかね。

ゴールデンウィーク直前の朝礼だったので、ゴールデンウィーク中に何かトラブルが発生しないように注意喚起をしておきたいなと思って選んだ話です。元はどっかのブログに書いてあった話で、とても共感できたのでネタとして使わせてもらいました。白状すると僕は24はほとんど見てなかったのですが、当該ブログの内容を適当にアレンジして話しました。

さて内容は、ジャック・バウアーは死なない。どんな窮地に陥っても死なない。それは自分が窮地に陥った時にどういう行動を取るかをあらかじめ決めているからだ、という話。

すなわち
・ ひとたびトラブルが発生してしまうと、どうしても焦りや混乱から正常な判断ができなくなることが多い。
・そうなる前の平常時に、有事にはどのように対処するかをあらかじめ決めておくのが鍵。
・要は「予見」と「事前準備」をしっかりしておきましょう。
という話でした。

当時は会社においてのトラブル防止、早期収束を念頭においてのメッセージだったのですが、最近であれば災害対策に対しても全く同じことが言えますね。

想像力働かせて日常の様々なシーンにおける様々なケースの対処法をあらかじめ決めておきたいと思います。それが心の余裕にも繋がりますし。

では。


【2021/01/06 追記】
24を知らないとまったく響かない話なので、朝礼ネタとしては確実に失敗だと思う。

予見と事前準備が大切というのはその通りで、これは「長期的に合理的に考える」というぼくの基本姿勢に通じます。

2012/03/27

山奥の桜は誰に見られていなくても美しく咲く。~朝礼アーカイブ②~

前回のエントリーで会社の朝礼で話したネタに触れました。せっかくなので、過去の朝礼で話したネタも記憶にある限り書き起こしてみようと思います。

今回書き起こすのは「山奥の桜は誰に見られていなくても美しく咲く」という話。確かまだ(以前のビルの)7Fワンフロアで朝礼やってた頃に話したものです。これ以前の朝礼では「今日は何の日」などのホントにどうでもいい小ネタしか話してなかったのですが、せっかくなので何かメッセージ性のある話をしてみようと思い立ち、この回から色々ネタを思案し始めました。

さてまずはネタ決め。当時は社内にゴミが落ちたままになっていたり、休憩室が散らかっていたりとやや社内モラルの乱れが見え始めていた頃だったので、何かその改善につながるメッセージを伝えようと考えました。

ただし「ゴミはちゃんと拾いましょう」とか「休憩室はきちんと片付けましょう」などと言っても全く効果は無いだろうなと思ってました。そんなの皆分かりきっていることですし、そもそも価値観の押し付けは反発しか生まないからです。

で、考えた結果あくまで自分ごととして僕が好きな言葉を紹介しようと思いました。そこで選んだのが「山奥の桜は誰に見られていなくても美しく咲く」という言葉です。

これは武者小路実篤の『あれを見よ 深山に桜咲きにけり 真心つくせ人知らずとも』という句を、僕が勝手に意訳したものです。

この言葉に僕なりの解釈「山奥の桜は誰かに見せるために美しく咲いているのではない。自分が美しくありたいから美しく咲いているのだ。その人の本質は、人が見ていないところでどのように振舞うかに表れるものだ」を付け加えて紹介しました。

まぁ実際どれだけ効果があったかは分からないですが、個人的に一つの型が作れたかなと満足のいく内容でした。ちょいちょい好評の声ももらって、とても嬉しかったのも覚えてます。

今でもこの言葉は良い言葉だなと思っています。疲れたり、余裕がなかったりするとどうしても影では荒れてしまいがちですが、そんな時はあらためてこの言葉を思い出し、凛とした姿勢で生きていきたいと思います。

では。


【2021/01/05 追記】
前回の実験結果をうけて、調子にのって過去の朝礼にまでさかのぼり始めるの巻。

この回は、意図・内容ともにうまくできたと思います。が、さすがに当日の限られた時間の中で背景などをすべて語ることはできなかったので、時間は経ってしまいましたが、ブログを使ってうまく補足できてよかったです。

2012/03/26

情報発信のススメ~朝礼アーカイブ①~

今朝、会社の週次朝礼担当だったのでそこで「情報発信のススメ」について話しました。

2~3ヶ月に一度しか順番回ってこないのですが、300人からの人数の前で話す機会はそうそう無いので、貴重な機会として毎回楽しくやってます。

で、話した「情報発信のススメ」ですが、実は以前に書いたブログを始めて良かったと思う3つのコトの焼き直しです。ブログに特化した話にせずまるっと「情報発信」としたのと、全体的に朝礼向けにアレンジ加えました。

内容的には以下の効能があるので情報発信お薦めですよ、というもの。

①考えが整理される。
②フィードバックがもらえる。
③なんとなく気分がすっきりする。

①②は特に説明するまでも無いですね。③は3つ全部理詰めでいってもカタいかなと思ったので、なんとなく感覚的にお薦めという理由を入れてみました。

ソーシャルメディアが社会的に力を持ち始めている昨今、個人としての情報発信の重要性は非常に高まっていくと思っています。

僕がソーシャルメディアの重要性を学んだのは、2011年秋に受けたさとなおさんの講演がきっかけだったのですが、そのさとなおさんが本日のブログエントリー(マスメディアからマンメディアへ。そんな時代、個の発信こそがキーポイントに)でやはり個としての発信の重要性に触れられています。

やっぱり情報発信はお薦めです。というか必須かもしんない。

といった背景や意図を込めて、本日の朝礼行いました。

いじょ。


【2021/01/05 追記】
朝礼で話す内容にこのテーマを選んだのは、当時社内にえもいわれぬ閉塞感が蔓延していたからです。かーなーりマズイ状況だと思っていたので、みんなもっとぶっちゃけちゃいなよ、と促したものです。

そうとは直接言えないぼくも相当なヘタレ。結果、さして効果はありませんでした。

あと、このエントリーの裏の意図として、会社にまつわることに個人ブログで触れるのがどこまで許されるか実験したというのがあります。

顧客や社員の個人情報に関することはもちろんアウトですが、朝礼で自分がしゃべった内容ぐらいならOKかな?と実験したところ、とくにおとがめナシでした。

2012/03/25

「感覚」は高次元の論理だっ!

以前の理屈を捨てて自分の本当の価値観を見つけよう!というエントリーで「理屈を離れて感性で動くこと」の必要性を説きました。それを踏まえて、感覚と論理についてもうちょっと考えてみました。

で、今思っているのが「感覚」って「高次元の論理」なんじゃないかということです。

ベースになっているのが、
①論理は言語で構成されている。
②事象は言語化される時点で、多くの情報が削ぎ落とされている。
という二点です。

順番にいきます。 まず①ですがこれはあまり深い説明は要らないと思います。論理はそれを人に伝える必要があることから必ず言語化されます。それが文章であったり数式であったりするかも知れませんが、いずれにせよ最終的には何らかの言語表示がなされます。

続いて②。論理の表現法となっている言語ですが、そもそも言語は全ての情報を伝えきることはできないという宿命を背負っています。例えば薔薇の色を「赤」と表現したところで、その赤という情報を受け取った側が頭の中に再現する色は千差万別。おそらく最初に薔薇が持っていた赤とは微妙に異なる色です。それを補うため「真紅」とか「鮮紅色」といったより細分化された表現もありますが、元の色を完全に表現するのは不可能という点は同じです。

という二点を踏まえると、言語化されている時点で情報が削がれている以上、全ての事象を包含した論理を言語を使って表現するのは不可能ということになります。

じゃあ、言語化せずに論理を表現するにはどうしたら良いか。それが「感覚」じゃないかと思います。様々な事象が言語化されることなくオリジナルの事象として脳内で処理され、導き出された結果が感覚なんだと思います。「なんか上手く言えないんだけど、なんとなくヤダ」というのがまさにそれです。と考えると、感覚は言語論理ではまかなうことができないより多くの情報を処理して導き出されたより高次な論理と言えると思います。

ゆえに感覚ももの凄く大切なんです。

(言語で表現された)論理が無意味と言っているわけではありません。複雑な事象を整理して考えるためにはモデル化が有効なので、まず言語化して扱いやすくしてから組み立てるというのが有効なケースも多くあります。

でも論理だけでもダメです。世の中には言語化されない情報も山のように溢れているのですから、それを無視して組み立てられた論理だけで世の中に働きかけていくと無理が生じるのは自明です。

最終的には論理と感覚をバランス良くというごく当然な結論に至るわけですが、それの言わんとすることは言語化されている情報とされていない情報の両方をしっかりと考慮して判断しましょうということです。

では。

■関連記事
永田洋子氏 死亡 - Chikirinの日記 (感情は理屈より圧倒的に正しい。というお話。)

 

【2021/01/04 追記】
ぐあ、この文章書いてたことすっかり忘れてた。忘れてたもんで、理屈を捨てて自分の本当の価値観を見つけよう!への直近の追記で
感性などという曖昧模糊としたものに、理屈の代役を任せてよいものなのか?という点に明確な解が出せない
などと書く始末。直近の自分が、過去の自分に反論を食らってちゃ世話ねえや。

2012/03/23

人を曲げる満員電車

以前のエントリーで人が曲がるのは「力が逃がせない環境において力が加え続けられた時」と書きました。

これは精神的な状態をイメージして書いたんですが、今日の通勤の際にふと思いました。満員電車は物理的に人を曲げますね。人間を物理的に力が逃がせない状態に閉じ込め、力を加えて歪めるってそうそう起こり得ないシチュエーションです。すげぇな満員電車。

で、体が曲がれば当然心も曲がります。電車内でしょっちゅういざこざが発生するのも、まぁ当然の成り行きですね。

人間ってことさら環境に左右されやすい生き物だと思います。雄大な自然を前にすれば「俺ってなんてちっぽけな存在なんだ」と悟りを開く人間であっても、ひとたび満員電車に詰め込まれれば「いつ目の前の席が空くか」しか考えられない存在へと堕落します。

まぁそんな満員電車も、無理やりポジティブに考えれば養成ギプスをつけているようなもので、心を鍛える良い環境とも言えます。正直僕も満員電車でイライラすること多々あるのですが、心の筋トレと思ってうけながしていこうと思います。(そとづら)

満員電車に乗らずに済むのであればそれが一番ですが。(本音)

では。

 
【2021/01/04 追記】
当時渋谷から根津へ引っ越し、6年くらいぶりに通勤電車に乗るようになった時に書いた文章。根津~国会議事堂前のたかだか15分程度でガタガタ言うなって感じですが。

会社員をやめた後は沖縄に軸足を移したので、念願かなって年に数回しか電車に乗らなくなりました。満員電車なんて、それこそ退職以来乗ってない。といっても最近はコロナで以前のようなすし詰めにはなってないんでしょうかね。

2012/03/22

受けて良かった星野仙一セミナー。受けてみたいぞ落合博満セミナー。[朝活メモ 3/22@大崎]

今日は元気に朝活@大崎に行ってきました。

今日のお題はこれまでに受けて良かったセミナー&今後受けてみたいセミナー」。お題に沿って一人ずつ発表していく形式で、参加者は14人くらいと大盛況!でした。

僕がこれまで受けて良かったセミナーは色々あって迷ったけれど、3年くらい前に受けた星野仙一氏のセミナーを挙げさせてもらいました。スポーツの世界は組織の目的が「優勝」と明確なので、その中で築き上げられた哲学は分かりやすく、かつ含蓄があるので好きなんです。中でも星野氏の話は特に面白かったです。

紹介させてもらったのは、広島の金本を口説き落として獲得した際のエピソード。イメージ通りの熱い語りで口説く一方で、金本が見たら間違いない難色を示すであろう年俸の話は金本が入団を決意するまで煙に巻くしたたかさ。そんな星野氏の苦心のエピソードが印象深く残っています。(しかも確か金本は4年契約。鬼だ(笑))

今後話を聞いてみたい人は、やっぱりぶれない男 落合博満ですね。あまりに明確な勝利への哲学と、選手へ注ぐ深い愛情。是非本人の話を直接聞いてみたいです。

他に挙げるなら、もはや叶わぬ夢ですが元近鉄・オリックス監督の故・仰木彬氏ですね。勝負に向き合う柔軟な思考と、豪放磊落っぷりの話を是非聞いてみたかったです。

当日周りから意見を頂いた、野村克也氏、野茂英雄氏、桑田真澄氏なんかの話も是非聞いてみたいですね~。それぞれが持つ哲学をじっくり聞いてみたいです。桑田と会う機会があったら、ホームベース持っていって一緒に肘を合わせたい!

他の方が挙げられていた旅セミナー、歴史セミナーなども僕の琴線にびんびん響いたのですが、一番ヤラレタと思ったのはK谷さんが挙げておられた「社会人になって最初に受けた講習」というものでした。確かに受けてみたい!ちょっと怖い気もするけれどやっぱり受けてみたい。社会人になってちょうど丸10年、自分がどれだけ変わったか、変わってないか確認してみたいです。

M田さんの行動心理学セミナーも支持率高かったですね。僕もそのうちに参加してみたいです。

と、いつもながらに充実の朝を過ごしたのでした。

主催のK谷さん、本日進行役のK畠さん、ありがとうございましたっ!!

 

ちなみにこれまで受けたセミナー、星野氏に次ぐ僅差での次点は昨年末にうけたちきりんさんの講演です。
・・・とあえて書いてK畠さんを羨ましがらせるテスト(笑)

では。


-----<ここからコメント>-----
Kanami Sasa
何かを成し遂げた人、自分の哲学や求めるものが明確な人の話を聴くことは自分の原動力になると思います。(ちきりんさんは同じく愛読しています)
「いいね!」を取り消す · 返信 · 1 · 8年前

Ryuhei Takagi
何かを成し遂げる過程で価値観が哲学に昇華されていくんだろうな~なんて思ってます。ちきりんさんはとってもラブり~でした♪
いいね! · 返信 · 8年前

-----<ここまでコメント>-----



【2021/01/03 追記】
仰木さんに続き、星野さん・野村さんも今や故人ですね。コロナな昨今もあいまって、会いたい人には会える時に会っておかないといけないとしみじみ思います。

時代は進みYouTube、Voicy、各種ウェビナーなど様々な知見に手軽に触れられるようになったのはとても好ましいですね。いま会社員だったら、机に「セミナー参加中」の札でも立てて、自席から聴講したりするのかしら。

2012/03/21

道指定強制ランチ開拓法

先月勤務先のオフィスが溜池山王へ移転したので、最近暇を見つけてはランチ開拓しています。

で、僕は「道指定強制ランチ開拓法」と銘打ち

①道を一本決める。
②その道の端から順番に店をあたる。
③よほど高かったり、苦手なもので無い限り必ずその店に入る。
④翌日は前日入った店の隣から開拓再開。
⑤店を順番に進み交差点に着いたらその道の開拓は終了。別の道をあたる。

といった方針で開拓しています。特段変わったことをしている訳ではないのですが、一つだけ良い点があります。それは自分の主観を取り除いて店を決められることです。

以前のエントリーでも書きましたが、自分の好みって意外と自分でも分かっていないものです。お店選びに際しても、自分の主観で選ぶとどうしても自分の既存の価値観に捕らわれがちです。それを取っ払って新しい価値観を発見するには、主観を除いた状態(要は偶然)で何かを決めるっていうのが有効なんじゃないかと思います。実際やってみるとちょっとした発見が結構あったりします。もちろんハズレもありますけど。

先日ちょうど道を一本開拓し終わったんですが、その中でのオススメは伊ち太ですね。昭和レトロ酒場の名の通り、お店の中が昭和グッズ(小物とかポスターとか)で溢れてます。こういうコンセプトがはっきりした店、好きなんですよね。

と、道指定強制ランチ開拓法の紹介でした。

ランチごときで偉そうなこと書くなって感じですが。

では。

 
【2021/01/03 追記】
よい仕組み。主観を取り除ける効能はもとより、シンプルで継続しやすいのがよい。ささいなことだけど、こういう仕組みを生活に組み込んでいくことで、数年後の視野や視座がずいぶんと変わっていくのだと思います。

伊ち太は今も健在なようでなにより。


2012/03/20

自分が歪まない、人を歪めないために必要なコト

モノを曲げるにはどうしたら良いでしょう?簡単ですね。端を固定するなどして力が逃げないようにした上で、力を加えるとぐにゃりと曲がります。

では、人が曲がるのはどんな時でしょう。 同じです。力が逃がせない環境において力が加え続けられた時です。

つまり、人が曲がる、歪むのは力が逃がせない閉じた場に長く居続け、不当な力を加えられ続けた時です。いじめが顕著な例だと思います。学校という閉じた場の中で逃がせない力が働き続けた結果、いじめる/いじめられるという歪んだ行動が発露するのです。過労死が発生する職場なんかも同じメカニズムでしょう。

では人が歪まない、歪ませないためにはどうしたら良いでしょうか。

①不当な力を発生させない。
②対象の場をオープンに保つ。
③別のオープンな場を持つ。

の三つかな、と思います。

①②は場の主催者・管理者側が留意すべき事です。そもそも人を歪めていく不当な力が発生しなければ歪みも生じないので、しっかりとコミュニケーションを取って場で働く力学を見抜き、人を歪ませるような力が発生しないように務めるべきです。ただ、正直全ての力学を見抜き、管理・配慮するのが厳しいことも多いでしょう。関与する人数が多かったり、状況が複雑だったりすると尚のことです。

となれば次に重要なのは②の場をオープンに保つことだと思います。オープンに保つことで発生した力をある程度逃がせると同時に、外部からの目も入りますので不当な力の発生も防ぐことができます。また外部からフィードバックを受けることで、場の力学に対する理解を深めることもできるでしょう。管理側が極力オープンに保つよう努めると同時に、場に所属する側からもオープンであることを求める、オープン度を把握しておくといったアクションがあると良いと思います。

さて、とは言っても完全にオープンにすることが難しいケースも多々あります。クローズであることがその場の存在意義であったり、他の場と比べての優位性だったりすることがあるからです。(※個人的に世の潮流的にこのような「クローズの優位性」は薄れていくと思っていますが、その点についてはまたの機会で。)

となると歪まない、歪ませないためには③の別の力を逃がす場(オープンな場)を作るというのが有効になります。一般的なのは体を動かす場を設けたり、友達とあけっぴろげに話したりといったところでしょうか。

インターネットを積極的に活用しても良いと思います。インターネットは恐らく現状最もオープンな場です。しかもTwitter、ブログ、Facebook、mixiなどのいわゆるソーシャルメディアによって、インターネット上で活動するハードルは格段に低くなっています。これを上手く使って力を逃がしていくというのも有効だと思います。もちろんソーシャルメディアを使いこなすのに最低限の基礎知識が必要なのも確かですが、基本的には公序良俗に反しなければ大丈夫だと思っています。クルマの運転と一緒で、まずはゆっくり安全運転で始めて、徐々に感覚つかんでいけばいいんじゃないかなと思います。

と、最後はなんかソーシャルメディアのススメみたいになってしまいましたが、まとめると

①不当な力を発生させない。
②対象の場をオープンに保つ。
③別のオープンな場を持つ。

を心がけて、自分を歪めず、人も歪めずにやっていきたいと思います。まだまだ精進の身ですが。

では。


【2021/01/02 追記】
当時会社員という立場上、遠慮して書いてないですが、もっとも人の歪みが発生してるのは会社ですよね。歪んでいった同僚もたくさんみてきましたし、自分が歪んでいたことも、人を歪めてしまったこともあります。

歪ませないための対策①②は管理側が留意することなので、管理される側としては他力本願。なので自衛策として重要なのは③ですが、じつは管理される側がとれる第4の方法があります。それは

④自ら風穴となっておく

です。つまりブログでもTwitterでもよいので普段から信頼にたる発信をしておいて、自分は世の中とつながっているのだぞと周囲に認知させておく。そうすると自らが風穴となり、自分のいる場がクローズにはなり得なくなる。結果、歪みを発生させる不当な力の発生を防げます。

実際、龍論として実名ブログを始めたとたんに、とある役員からの理不尽な仕打ちが霧消したので効果は折り紙付き。自衛策としても実名ブログはおすすめです。

2012/03/19

花粉症ランナーの憂鬱

全国の花粉症ランナーの皆様、こんにちは。

ぶっちゃけこの時期皆様どうしてるんでしょうか?

花粉症暦20年を誇る僕ですが、来週とある駅伝に参加するので付け焼刃で軽く走っています。が、やっぱ花粉が邪魔なんですよね。

最もシンプルな対策がマスクして走るなんですが、走り始めはそこそこ調子いいものの体があったまって汗をかき始めると、それがマスクにも浸み込んで通気性はほぼゼロ。質の高い酸欠状態が楽しめます。

どちらかと言えばドMな僕にはちょうど良いかもしれませんが。

おとなしくスポーツクラブとかで走るのが良いんでしょうか。昨年夏の引越しを機にスポーツクラブを退会しちゃったので今通ってないんですよねー。

同じような境遇の方、何か妙案がありましたら是非教えて下さい。

ちなみにコースは不忍池の周りを良く走ってます。鴎外温泉が近くにあるので、がっつり走ったあと行ったら気持ちいいだろうな~なんて思ってます。

では。

 
【2021/01/02 追記】
今なら言える、沖縄へ行け。それで全てが解決だ。

本文にでてきた鴎外温泉。今調べたらコロナの影響を受け2020年5月で営業終了してました。残念。

2012/03/18

長所・短所という言葉を使わないことにした。

あなたの長所・短所は何ですか?

面接なんかで良く使われる質問ですね。 僕も使ったことあります。でも個人的にはこの質問はもう使わないようにします。というか長所・短所という言葉自体使いません。

なぜか。

そもそも人に長所も短所も無いからです。人にあるのは特徴です。

その特徴がプラスと評価される環境にあれば長所と判断されるだろうし、マイナスに評価される環境であれば短所と判断されるというだけです。

それを理解せずに「長所・短所」を聞き出そうとするのはセンスがある質問と思えません。むしろ質問者の器量の狭さを露呈しているように見えます。その人が持つ特徴をどのようにプラスに発揮させるかは、受け入れる側・マネジメント側の仕事ですから。

まぁ、相手が自分が入ろうとする世界の環境、価値観を理解しているかどうかを量る質問にはなるかもしれませんが。でもそれを知りたければそういう質問をすればよいだけであって、あえて長所・短所という言葉を経由させる必要は感じません。

これからの世の中は多様性が今まで以上に重視されると思っていますが、その中で短所・長所という言葉で表現される一義的な見方に捕らわれず、ニュートラルに人と接していきたいなと思います。

なんてね。

では。


【2021/01/01 追記】
当時管轄していた部門にて採用面接をすることも多かったので、必然こういった人事用語について考えることも多かったです。

外づら的にはここで書いたことが正解なのでしょうが、結局はその特徴を自チームに落とし込んだときに長所となるのか短所となるのかを判断しないことには、採用可否を決められないのもまた事実。まあよくがんばっていたなぁと思います。

2012/03/17

理屈を捨てて自分の本当の価値観を見つけよう!

自分のことを知る、って案外難しいものです。「自分はAだ」と思っていたものが「実はBだった」なんてことがしばしばあります。

痛感したのが去年の夏に部屋探しをした時。当初は「部屋にはあんまりこだわり無いからあっさり決まるだろ」と高をくくってました。

が、蓋を開けてみると想像以上に難航。なかなか「よしこの部屋にしよう!」と思える部屋に出会えなかったんです。自分自身でどの軸を優先させるかが分かっていなかったんです。

いや、分かってるつもりではいたんです。家賃と交通の便を優先しようと思ってました。で、その軸で色々物件見たのですがどうにもしっくり来ない。決まらない。結構途方に暮れてました。

でもヒントはあったんです。一度錦糸町の物件見に行ったときになんかものすごーく違和感を感じまして。家賃も交通の便も結構良いのになんかイヤだったんです。漂ってる空気が合わないというかなんというか。

で、家賃とか交通の便とかそういう合理的な理由じゃなくって、地の気というか街の雰囲気っていうのが重要なんじゃないかと思い始め、ふらっと立ち寄った根津の街。ビビっときましたね。ここだと。

結局僕が最もこだわっていたのは地の気だったんです。歴史に根ざす根津の地の気が僕が最も望んでいたものだったんです。それが分かった後は正にトントン拍子。残りの軸をちゃちゃちゃーっと並べ、それに合う物件を2,3見せてもらってサクっと決まりました。

という感じで、部屋探しを通じて自分のことすら自分でもよく分かってないんだなと思い知った訳です。

じゃあ自分を知るにはどうしたら良いか。多分理屈を捨てることだと思ってます。理屈は自分の既存の価値観の中で組み立てられるものなので、その中に留まっていては自分がまだ気づいて無い価値観に出会うことは難しいです。なので一旦理屈を離れて感性で動くことが、本当の自分を知るきっかけになるんじゃないかと思います。

理屈屋が、理屈を捨てる理屈を見付けたというお話でした。

では。


【2021/01/01 追記】
理屈に限界があるのは確かなのでそれにこだわり過ぎてはいけない。が、理屈の代替が感性でよいのか?

感性などという曖昧模糊としたものに、理屈の代役を任せてよいものなのか?

という点に明確な解が出せないので、「なんでもとりあえずやってみる」が正解な気がする。

という理屈。

2021年明けましておめでとうございます。

僕が使っているオンラインストレージ

昨日のエントリーでオンラインストレージについて触れました。せっかくなので僕が使っているオンラインストレージを紹介しておきます。

一応オンラインストレージとはなんぞやというのを説明しておくと、どっか遠くにあるサーバに自分のパソコンのデータを保存しておけるサービスです。使う利点としては、

①自宅が物理的な災害に巻き込まれてもデータが失われない。
②世界中のどこにいってもインターネット経由で自分のデータを取り出すことができる。
③インターネット経由でいろんな人とデータを共有できる。

といったところです。②③については、自宅の外付けHDDをクラウド化してどこからでも参照できるようにするツールがあったりするので、オンラインストレージならではの利点は①ですね。

僕がオンラインストレージ使っている理由も①の災害対策です。いくら自宅内で外付けHDDなどにバックアップ取っていても地震で自宅ごとつぶれてしまったら元も子もないので、オンラインストレージ使ってどこか遠く離れた地にデータを保存しています。東京で大災害があったり、自宅マンションで家事があったりしても、とりあえずデータは無事っていう安心感があります。(その際に自分が無事かどうかはともかくとして)

で、僕が使っているオンラインストレージはlivedrive というサービス(のBackupプラン)です。採用の決め手は定額で容量が無制限なこと。残容量を気にしたり、追加コストを気にしたりするのがイヤだったので、定額・容量無制限にはこだわりました。1年ちょい前に色々調べたときにはこの条件を満たして一番安かったのがlivedriveだった気がします。ちなみに¥6,995/年。(2012/3/16時点)

①以外に②にも使えます。ブラウザ経由でデータ取り出すこと可能です。③として使うには別プラン(¥12,995)の契約が必要です。

1年使ってみての満足度はそこそこ。

①用途は特に問題なし。使い始め直後にデータ一式(600GBくらい)をアップロードするのに丸まる1ヶ月かかりましたが。その後はPCに追加されたデータを随時サーバへ自動アップロードしてくれます。

②用途はイマイチ。データのダウンロードはもちろんできるのですが、ユーザビリティが結構キツい感じ。僕は②用途ではほとんど使わないので問題無いですが、頻繁に使う人にとってはちょい厳しいかも。

ともかくも、災害が起きてもデータは大丈夫という安心が得られているので重宝しています。

オンラインストレージは他にもたくさんあります。容量無制限っていうので選ぶと個人的な次点はマカフィー オンラインバックアップかな。容量無制限にこだわらないのであれば、DropboxとかSugarSyncあたりが有名ですね。この辺は②用途がメインな感じですが。

皆様の災害対策の参考になれば。

なんてね。

では。


【2020/12/31 追記】
オンラインストレージはその後もずっと使い続けていますが、使うサービスは livedrive → Amazon Drive → Google Workspace(旧G Suite) と変遷をとげています。

G SuiteがGoogle Workspaceに変わったタイミングで、保存可能容量に制限が加わってしまったのが残念ですね。でもDriveFileStreamはオンラインストレージを内蔵ドライブのように使えるのでとっても便利です。

オンラインストレージを使い始めたころは、メインのデータはPC内で、バックアップをオンラインに上げておくという運用だったのですが、いまやメインがオンライン。そのバックアップを外付けHDDにとっておくという体制になりました。

2012/03/16

思い出を全てデジタル化してわかったコト

先日いわゆる「思い出の品」を全てデジタル化しました。

対象は子供の頃に遊んだおもちゃ、教科書、通知表、もらった賞状などなど。大半が実家においてあったガラクタです。実家の引越しを機に自分の部屋へ郵送してもらい、地道にデジタル化を進めていました。基本的にモノはデジカメで撮影、本・紙類はスキャナでPDF化しました。

で、全ての思い出の品をデジタル化が完了した今、想像以上の充実感 & 安心感に包まれています。多分理由は次のようなコトだと思います。

①思い出を全て時系列で整理することができた。
モノをキレイに並べるのはなかなか難しかったのですが、デジタル化するとフォルダ分けして簡単に時系列に並べることができます。つまり思い出をキレイに並べ直すことができるんですよね。記憶が整理されてとてもすっきりした気分です。

②思い出が無くならない安心感。
僕はデジタルデータを
・PC本体
・外付けHDD
・オンラインストレージ
の3箇所に保存しています。オンラインストレージのサーバは海外にあるので、きっと日本で大地震が発生してもデータは大丈夫です。ので、何が起きても自分の思い出が消えて無くなることはないという事実が大きな安心感に繋がっています。

③自分の生きた記録を残せる安心感。
僕は自分が思い出を忘れたくないのと同時に、自分のことを忘れられたくないという思いが強い気がします。で、ライフログ的に僕がやってきたことがデジタルデータとしてあれば、このデータをひょいっと後世の誰か(子供とか)に渡しておけば、とりあえず自分が生きた記録は受け渡しておけます。それがどう扱われるかはともかくとして、とりあえずは受け渡しておけるという事実がまた安心感を生んでいます。

寂しがりなんですね。きっと。

でも、これでなんだか足場が固まった感じがしています。後はその上に楽しいものを創っていくだけだー、的な。

ちょっとまた人生が整った気がします。

なんてね。

では。


【2020/12/31 追記】
これはやって本当によかった。これ以降いたずらにモノを増やすことはなく、すっきり身軽な生活を続けています。

つい先日、手持ちの写真を全てGoogleフォトにもアップしておきました。来年6月の容量無制限終了前にアップしとけという貧乏根性丸出しの行動ですが、利便性・保全性が更にアップしました。

2012/03/15

分身の術をマスターしました。

知ってますか?人間ってオンライン上だと分身できるんです。

ってタネ明かしは何てことのないブログ、Twitter、Facebookなどへのタイマー投稿機能。 これを使うと実際にはPCやスマホを操作していない時間にも投稿することができます。

すなわち 実際には朝活に参加している時間にブログ記事がアップされたり、会社で会議やってる時間に「○○オススメ(^^)/」などとつぶやいたりできる訳です。

これって結構可能性に溢れたことだと感じてます。一人の人間が、まったく同時に複数のアクションを起こすことができる訳ですから。もちろん現状できるのは発信のみで、インタラクティブなアクションはできませんが。

同時に、情報を受け取る側も一応それがタイマー投稿の可能性がある点は頭の片隅においておいた方が良いと思います。よもや「~なう」とタイマーでつぶやくトリッキーな人はいないかと思いますが、それを逆手に取ってのアリバイ作りである可能性も無きにしもあらず??

って疑い過ぎですね。すいません。

僕が主に使っているのは
・WordPressの予約投稿機能
・HootsuiteからのTwitter、Facebookへのスケジュール投稿機能
です。

直近だとブログの更新とその案内にタイマー設定してることがあります。
皆様ゆめゆめダマされませぬよう。

なんてね。

では。

 
【2020/12/30 追記】
なんかオン・オフがはっきり分かれている会社員の発想ですね。あとおまえの発信の投稿時間なんて、だれも気にしてねーっつの。

2012/03/14

やりたい事よりやりたくない事

「やりたい事」と「やりたくない事」どっちが重要だと思いますか?

もちろんどっちも重要なんですが、しなやかに生きていくという観点では「やりたくない事」をしっかり認識しておくことが重要なんじゃないかと思います。

というのも何かやる事を決める場合に、「やりたい事」だと対象が一つに限定されるのに対して、「やりたくない事以外」だと選択肢がたくさん残るんですよね。どのみち後から様々な制約がついて更に絞られていくことを考えると、おおもとの選択肢はできるだけ多く抱えておいた方が楽なんじゃないかなと思います。

ので、やりたい事を見つけるのも大事ですが同時にやりたくない事もはっきりさせておくと、自由度高く、しなやかに、追い詰められずに生きられるんじゃないかなと思います。

こだわりも大切だけど、一方でゆるく柔軟にって感じ。

なんてね。

では。


【2020/12/30 追記】
僕の基本戦略は「常に逃げ道を用意しておく」なので、必然こういう思考になります。なにかに人生を捧げているような人には絶対に勝てないスタンスですが、無理なく自分がそこそこ満足できていれば十分です。

2012/03/13

「正しい」よりも「自然かどうか」

人と人が関わっているとどうしても揉め事がおきます。

揉め事は言ってみれば異なる価値観どうしのぶつかり合いなので、これを収めるにあたり「どちらが正しいか」を論ずるのは無意味です。それぞれの価値観の中ではどちらも正しいのですから。

ではどうするか。一番良いのは双方が住む世界を別々にすることです。住む世界を分け、それぞれの世界でストレス無く過ごせればそれが一番です。

とは言え、どうしても一緒にいないといけないケースもあります。その場合はどちらの価値観を優先させるかを決めなければいけません。その際の判断基準として、僕はどちらがより自然かで判断するのが良いと思っています。言い換えるとより大局観に沿っている方が優先です。その方が無理が無い分、全体として余裕が持てるはずです。で、できればその余裕を採用されなかった他方の価値観へのフォローに充てられるとベストかと思います。

大局観の持ち方もまた様々だったりするのでこれで全てが解決するわけでもないのですが、一つの方針としてありかなと思ってます。

なんてね。

では。

(追記)
Twitterで「どっちも納得できる妥協点を見つけるのもありなのでは」とのコメント頂きました。ごもっともです。心がけます。

-----<ここからコメント>-----

Mie Miyasaka
コメントが見えなーい
「いいね!」を取り消す · 返信 · 2 · 8年前

Ryuhei Takagi
ありゃ、何かおかしいわね。確認しまーすm(__)m
いいね! · 返信 · 8年前

Ryuhei Takagi
ちょっと設定いじってみました。実験がてらのまたのコメントお待ちしております(笑)
いいね! · 返信 · 8年前

Mie Miyasaka
最初に書いたコメントは、どこかへ消えたねー。笑
いいね! · 返信 · 8年前
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Ryuhei Takagi
test
いいね! · 返信 · 8年前

Ryuhei Takagi
test2
いいね! · 返信 · 8年前

-----<ここまでコメント>-----

【2020/12/29 追記】
本文内では「大局観に沿っている方」と表現していますが、これを今の僕の言葉に置き換えると「長期的に見てメリットが大きい方」、さらに言い換えるなら「合理的な方」です。

意見が食い違う場合って、見てる時間軸が異なる場合が多いような気がします。かたや短期で、かたや長期でみてる。僕は長期でみる方が好きなので、明確な理由がない限りは長期的に合理的な案を採用します。

コメントでもらった「両者納得できる妥協点」の模索は今の僕としては好ましくないですね。妥協点である以上、結局どちらにも一定の歪みというか不自然さが残るので。であれば、無理せずノーディールが良いと思います。

っていう見切りの早さが僕の習性のひとつです。

2012/03/12

ブログを始めて良かったと思う3つのコト

昨年11月の開始から4ヶ月弱経ったこのブログですが、しみじみブログ始めて良かったなと思うことがあります。今回はそれをご紹介。

①イベントに連続性ができた。
しばしば朝活の様子や講演の感想をブログにアップするのですが、それを読んでくれた他の参加者や講演者自身からTwitterなどで連絡をもらえることがちょいちょいあります。今までだと参加して終わりだったものが、ブログがあることで次につながるようになっています。それがまた次の機会いにつながっていくので、得られるものは非常に大きいなと感じています。

②自分の考えを持てるようになった。
「ブログのためのネタ探し」は好きではないので書きたいことありきで書くスタンスですが、一度考え始めたことはブログで公開できるくらいには考えをまとめるようになりました。結果、一つの事象に対してそれなりに自分としての見解を持てるようになりました。これが色んな場で人と話すときに役立ってます。それなりにまとまりよく伝えられるので。

③評価の受け皿ができた。
ありがたいことに書いたエントリーに対してちょいちょいコメント頂けてます。それによって自分の考えがどのように受け止められているかを知ることができ、そこからまた新しい気づきが得られてます。こういう機会が広く持てるようになったのはホントありがたいことだと思ってます。

総じて言えば日々の暮らしの充実度がけっこうアップした感じです。オススメですよ、ブログ。

今後、個人の時代がより進むにつれブログの重要性はよりアップしていくと踏んでいますが、現時点での所感はこんな感じ。

なんてね。

では。


【2020/12/29 追記】
今ふりかえっても、龍論という実名ブログの開始は人生の主要なターニングポイントだったと思います。

人生の公開ステータスが「非公開」から「公開」にかわったようなもので、多少責任は増えたものの、それ以上に得るものが多く、それは現在にもつながっています。

本文でも書いてますが、会社員だった当時はどうしても会社基準での評価を受けることが多かったのですが、実名での発信を始めてからは会社基準とは別の(おそらくはより一般的な)基準での評価を受けられるようになったので、その点は本当に良かったです。

そう考えると実名で公開した文章たちは、人生の軸足を「自分」に置いておくためのとても重要な役割を果たしてくれていると思います。

2012/03/10

シンプル化スパイラルに入らないと一生時間の奴隷です。

シンプルと複雑、どちらを好むかは人それぞれだと思いますが僕はシンプルな方が好きです。シンプルな方が同じ効果を生むのに必要な労力が少なくて済むからです。

でも残念なことに、モノ・コトは基本的には放っておくと勝手に複雑になっていくものです。(エントロピーの増大??)

なので物事をシンプルにしておくには、そのための能動的なアクションが必要になります。具体的には

① 本質を見抜く思考力を身に付ける
② ①に基づいて整理する

です。この二つを持ち続けている限りは、常に物事をシンプルに捉える続けることができます。逆にどちらか一方でも欠けてしまうと、物事が複雑化し続ける負のスパイラルに陥っていきます。

このシンプル化、複雑化どちらのスパイラルに属しているか、人生に非常に大きな影響をあたえるポイントだと思います。

極端な話、複雑化スパイラルに属していると時間の奴隷です。余裕の無さが余裕の無さを生み、やれどもやれども楽にならない状態が続きます。

一方でシンプル化スパイラルにいると、余裕が余裕を生むので基本的には人生の主導権は自分で握っておくことができます。

複雑化スパイラルからシンプル化スパイラルに移行するのに必要なのは捨てる勇気だと思います。上述の通りシンプル化スパイラルにはその為のアクションが必要なので、それに充てる時間が絶対に必要です。それには今ある何かを捨てて無理やりにでも時間を作り出すことが必要です。

その覚悟を持ってアクションを取りシンプル化スパイラルへ移るか、ずっと複雑化スパイラルに甘んじるか。人生を左右する最大のポイントと言っても良いのではないでしょうか。

なんてね。

では。


【2020/12/28 追記】
僕が息をするように自然にやっていることがこれですね。絶対に複雑にしない。なにか滞るようなモノ・コトがあれば、全叡智を注いで解消にあたります。

本文ではシンプル化に必要なのは捨てる勇気と書いていますが、これは建前。本音では本質を見抜いて必要なもの、不必要なものを見分ける賢さだと思っています。

となると僕が身の回りをとにかくシンプルにしているのは、賢く見られたいという心理の表れでもあるな。うん。

文末の「なんてね」は明らかにちきりんの「そんじゃーね」を意識したもの。ちきりん大好き。

2012/03/08

災害対策としてのキャンプのススメ

もうすぐ3.11から1年ですね。防災意識を引き締め直す良い機会でもあります。

防災グッズを買ったり、避難所を確認したりといったとこが具体的なアクションになると思いますが、それでもいざ避難所生活になった際の不安がぬぐえない方も多いのではないでしょうか。

そんなあなたの不安をそこそこ和らげる妙案があります。

キャンプに行くことです。

※キャンプにも様々ありますが、ここではテントを自分達で建てて持ち込んだ火器で自炊するそこそこ本格的なキャンプを指しています。

そもそもキャンプとは「設備、物資が不足している場所へ敢えて赴き、創意工夫の中から遊・食・住を創り出す遊び」です。で、この「設備、物資が不足している場所」というのが有事の避難所とそこそこ近似していると思うのです。※実際の避難所生活経験は無いですが。。

ので、キャンプへ行くとこんな効能があります。

①避難所生活で必要な道具がそれなりに揃う。
キャンプに行くには防寒具、ヘッドランプ、軍手、寝袋、ロープ、ナイフなどなどそこそこ過酷な環境で生命を維持するために必要な道具を揃える必要があります。 それらはきっと避難所でも役に立ちます。

②道具の使い方が分かる。
道具は実際に使えないと意味がありません。キャンプへ行くと必然的に様々な道具を使うことになるので、使い勝手、クセ、耐久性などなど実際にどんな風に使えるかを確認することができます。また、創意工夫の中から往々にして応用の使い方が生み出されます。いざという時に役立つのは意外とこの応用の使い方だったりします。

③生命維持のため最低限必要な条件が分かる。
キャンプに行くと、暑さ、寒さ、風、虫などなど生命を脅かす存在が当たり前のように存在しています。その中で最低限何があれば人は生命を維持できるのかを体感することができます。

特に③は大きいです。 人間の不安は往々にしてから発生していることが多いですが、自分が生きていくためには最低限何が必要かを知ることで、避難所生活への不安を大きく軽減できるのではないかと思います。

実際3.11の際、僕はもし家を出ないといけなくなったら、いつものキャンプグッズをそのまま持っていけばいいやと思ってました。そうすれば避難所がキャンプ場と同程度の環境であればそれなりに生きて行けるという確信があったからです。この辺の気持ちの余裕が持てるかどうかは、結構大きいのではないかと思います。

なーんて、例によって小難しいこと書きましたが、キャンプに行く理由なんて楽しいからで十分なんですけどね。

そんな訳でみんなでLet's Enjoy Camping♪

※文中にも書きましたが僕自身避難所生活の経験はありません。ので、あくまで本エントリーは参考程度にとどめ災害対策は自身の責任にてしっかり行ってくださいませ。


【2020/12/28 追記】
キャンプグッズのよいところは、コンパクトに収納できてそこそこ頑丈なところ。なのでキャンプグッズを日常使いするのもオススメ。

そのうちエントリーにも登場しますが、キャンプ用の折りたたみチェアはデスクとは別のくつろぎチェアとして重宝していました。